冗談みたいに降り出した雪道を歩いていく。 携帯片手に、寒空の中、ゆっくりと。 「ねえ、御剣、覚えてる? ぼくらが過ごした初めてのクリスマス」 そう電話越しに言うと、御剣は、照れながら、ああ、もちろんだ、と返してくれた。 それは、8年前のクリスマス。 『メモリー・メリー・クリスマス』 仕事は午前中にほとんど、すべて終わらせてしまった。 御剣との待ち合わせは夜の7時。都内某所。 ぼくはと言えば、真っ白な包装紙に包まれた、あるプレゼントを鞄に入れながら、30分前からその場所に立っていた。 ホワイトクリスマス、とはさすがにいかなかったんだけど、気温は急降下。12月後半らしい、冷たい空気だ。 クリスマスツリーの下で、待ち合わせ。なんだかもう本当に、恋人って感じだ。 ほんの数週間前に、ぼくのものになってくれた親友、御剣怜侍。 きっといつものように、眉間にシワを寄せて、悠々と歩いてくるんだろう。 想像するだけで、なんだか幸せだ。寒いけど、胸のあたりはぽかぽかしている。 「あー…、あと15分か。やばいドキドキしてきた…っ」 それはそうだ。つきあい始めた日だって。忘れられない夜にする、そんな風に言っておいて、結局ぼくらは手をつないだ、抱きしめあった、キスをした、これくらいで。 コンビニから帰ったら、ほとんどそのまま寝てしまったんだから。 それからメールや電話はしたけど、御剣とは顔を合わせていない。それが余計にぼくを緊張させるんだけど。 本当、変な話だよな。御剣相手にそうなるとか、ありえないよな。 御剣は、どうなんだろう。少しはそうなってるのかな。まあ、それこそありえない。 「成歩堂っ!」 「あ、…御剣…?」 え。うそ。信じられない。 あの、御剣が、髪を振り乱して、かけてくる。 あ、危ないってば、転んじゃうよ。 「すまん、待たせてしまったか?」 「ううん、そんな事ないよ。楽しみすぎて早くきちゃっただけだから。」 腕時計を見れば、10分前だ。 「そうか…、では、どこかへ入るか、成歩堂?」 「うん、そうだね。息切らしてるし。……あー、抱きしめたいな」 御剣の顔を見ることさえも、久しぶりなんだから。 本当に、夢みたいだ。御剣と一緒に、ぼくはクリスマスイヴを過ごす。 へらりと笑いながら、願望をそのまま言ってみると、御剣は顔を赤くした。 「まあ…かまわない、ぞ?」 ほんとに、夢なのかもしれない。 だって御剣が、そんな事を言いながら、両手を広げてくる。 「大胆だな。周りは男女のカップルだらけだよ」 街に流れるクリスマスソング。色とりどりの装飾、赤、緑、白、黄色、すごく、きれいだ。 けど、コートに深緑のマフラーをして、いつものひらひらが少しだけ見えている御剣のほうが、きれいだけど。 「クリスマスカラーだな、おまえ」 「ム…そうだったか」 「じゃ、ちょっとだけ」 「…っ」 本当に抱きしめると、御剣は、いやがらなかった。 だって道行くカップルは、それぞれ自分のクリスマスに夢中で、他人なんて見ていないだろうから。 サンタクロースだって、トナカイを連れて、クリスマスプレゼントを運ぶのに、夢中だろ? 「メリークリスマス、御剣」 「…メリークリスマス、成歩堂」 ものすごくキスをしたい衝動にかられたけど、そこはさすがに我慢して。ぼくは御剣から離れて、鞄からプレゼントを取り出した。 「はい、御剣。さっそくだけど、クリスマスプレゼントだよ」 「……っ!! 成歩堂、これは、トノサマンのファンイベントのチケットではないか!!」 「うん。御剣はたぶん、これが一番喜ぶと思ってさー」 「200名限定だぞ…?」 「うれしい、御剣?」 「当たり前だろう…、今までのクリスマスプレゼントで、一番と言っても過言ではないのだよっ」 目をきらきらさせる、こんな御剣を見たくて、ぼくってば必死で手に入れたんだよね。 でも、よかった。想像以上に喜んでくれて。 「これからあるんだよ、9時からね。行くだろ、御剣?」 「無論だ」 その前に腹ごしらえしないとな、と言いながら。 やっぱりちょっと変わってるけど、男同士で入っても、そんなに違和感のないレストランを選んだ。 フランス料理は堅苦しいから、家庭的なイタリア料理のお店。 小さな店内に、かわいらしいクリスマスの装飾、オレンジ色のキャンドル。それから、白と赤のテーブルクロス。 ウエイトレスがふたりと、マスターがひとりだけいる、静かな店内。 「こんな場所があったのだな、知らなかったぞ」 「うん。もう20年近くやってるお店でさ。これでも通は、他県からでもこぞってやってくるんだよ」 「そうなのか」 「バーでもないのに、カクテルは何を頼んでも出てくるし、マスターが、無口なのが、いいんだよね」 「ワインもなかなかだ。気に入ったぞ、成歩堂」 「よかった」 柔らかい光の中で、御剣が笑う。 本当に、奇跡みたいな聖夜だな。 デザートの小さなクリスマスケーキを食べながら、ゆったりとした時間の中、ぼくらは談笑していた。 ほんの少し、違うだけだ。親友の頃は、こんな風に見つめあったりは、しなかった。 でも、ほんの少しだけ、違うだけだから。 きっと、御剣は安心したように、笑うんだろう。 イベントが始まるまで、あと30分、と言うところでレストランを後にした。 ドアにかかっているクリスマスリースが揺れて、チリン、と音がなる。 歩調を少しだけ速めたのは、きっと、この後のイベントを、御剣が楽しみにしているからだろう。 まだまだ人並みは多くて、ぼくらが隠れることはできないけど、それでも、御剣は手をつなごうとするぼくを止めなかった。 数週間前の夜が脳裏に浮かぶ。そうして、その時見たものとは、比べ物にならないくらいの光の光景が、街を彩っていて、それを御剣は眺めていた。 建物に入ることはないけど、入り口、それからショウウインドウには、クリスマスの光が眩しい。 「クリスマスソングって色々あるけどさ。やっぱりぼくはこの曲が好きだな」 「私は洋楽が好きだが――」 「けっこう聞いてみるとさ、人それぞれなんだよね、好きなクリスマスの曲って」 「個人的に、思い出に残る曲は違うのだろう」 ああ、デパートの店頭販売で、サンタクロースの格好をした男女が、ケーキを売っている。 声を張り上げて、きっと、彼も彼女も、それぞれ素敵なクリスマスイヴを過ごしたいんだろうに、それでも、なんだか、幸せそうに笑っているのは。 それこそきっと、クリスマスだからなんだろうな。 通り過ぎながら、御剣に聞いてみた。 「じゃあ、今かかってるこの曲、ふたりのクリスマスソングにしようよ。 思い出の曲ってやつにさ」 「キミはすぐに忘れてしまうのではないか?」 「ええー、そんな事ないよ。御剣とこうやって、手ぇつないで、聞いてる曲だもん」 「では、数年後、キミに聞いてみるとしよう」 「言ったな。その台詞、そっくりおまえに返すよ」 いつもだったら、おまえと一緒に過ごせるクリスマスは、あと何回なんだろうとか、そんな風に考えがいってしまいそうなんだけど。 なんだか、今夜はそうならない。 「御剣――、あのツリーの下で、キスしたいって言ったら、怒る?」 「…さすがに今は人通りが多いが――、帰り道なら、かまわない」 ほら、絶対に御剣が、オーケーするわけないこと、言っているのにさ。呟くように、でも、確かに御剣はそれを許してくれたから。 ああ、本当に、御剣はぼくのこと、好きになってくれたんだ。 ああ、本当に、ぼくは御剣のこと、好きでいいんだ。 「これからも、ずっと――、ぼくとこうやって、イヴを過ごしてくれる?」 「ああ…しかし、その、」 「わかってるって、日本にいる時だけでいいよ。でも、どこにいてもさ、24日でも25日でも、どっちでもいいから、電話くらいはしてもいいだろ?」 「うム。必ずだ。約束しよう」 ありがとう、誰に言えばいいのか、よくわからないから、やっぱりもう一度、サンタクロースに、こころからお礼を言いたい。 そうしてやっぱり、御剣にお礼を言いたいな。 「御剣。…ありがとう」 「それは、こちらの台詞だろう?」 「ううん、御剣に言いたいんだ。」 会場に着くまでの間、きっと御剣はどんどん早足になっていくんだって思っていたんだけど。 だんだんそれは、ゆっくりとなっていって。 「――成歩堂」 「ん、何?」 「私からの、その、だな――、…プレゼントは、明日になってしまうかもしれない」 どういう意味だろ。あげる方にしか、頭がいかなかったから、そっちは考えていなかったし。 「いいよ、一緒に過ごしてくれることが、ぼくにとっては最高のクリスマスプレゼントだからさ」 「私だ。」 「え?」 「……っ…、なんでもない、忘れてくれ」 ちょっと待って。 御剣、待って。 そんな風に、手を振りほどいて、走っていってしまうこと、ないだろ? 「御剣!聞こえてたぞ!!」 「なんでもないと言っている!!!」 「おい!トノサマンのイベント始まっちゃうってば!!」 「…っく!!」 「危ない!!」 本当に、御剣って、たまに何をしでかすか、わからないヤツなんだから。 転びそうになった恋人を、腕の中に抱きとめる。 会場までは、数十メートル。人通りの少なくなってきた路地裏に、逃げ込もうとしたから。 「御剣。聞こえてる。ちゃんと、聞こえてたよ」 「…っ…、ならば、…理解だけ、しておけばいい」 「うん。―― ありがと、もしかしてまた、矢張に相談したのか?」 「………」 「図星かよ。もー、でも、今回はすごい大成功だよ。多分、ぼくにとっては、生涯で一番最高のクリスマスプレゼントになりそうだからさ」 「……そう、なの、か…?」 まったくホント、御剣って天然だ。どれだけぼくが、おまえのこと好きなのか、まだわからないのかな? まあ、そこが可愛いんだけどね。 路地裏だから、今度は、誰にも見られないだろう。 でも、ぼくと御剣からは、クリスマスツリーも、クリスマスに彩られた街並みも、全部、見える。 「御剣、抱きしめてもいい?ちょっとだけ。3分でいいから」 その声と同時に、そっと抱き寄せると、御剣は数時間前とは違って、ぼくの背中に手を回してきた。 時間が、止まればいいのに。 このまま、ずっと、ずっと、御剣を抱きしめていたい。 そっと離れた御剣の頬に、触れながら、キスをした。さっきの約束とは違うけど。 触れるだけのそれを、何度から繰り返して、御剣の瞳を見つめた。 「…成歩堂…」 「ん、なあに、御剣?」 「イベントが始まるまで、あと2分なのだよ」 空気を読まずに、悪いな、と思っているのか、御剣の顔は、すごく、申し訳なさそうで。 「…可愛すぎだろ、おまえ」 ぼくは御剣に、小さくウインクをして、また、恋人の手をひいた。 それが、ぼくらの最初のクリスマス。 ぼくにとって、一生忘れられないクリスマス。 『成歩堂、迎えに行くか?』 冗談みたいに降り出した雪は、止む気配はなくて、ざくざくと音を立てながら、真っ白なコンクリートに、足跡を残していく。 手には、今年少しだけ流行った、真っ白な苺を使った、全部真っ白の、クリスマスケーキ。二人で食べるのには、少し大きすぎる、5号のケーキ。 「平気だよ。――ねえ、御剣。…覚えてる?あの時かかっていた曲がさ、さっきもどこかから、聞こえてきたんだよ」 『ああ。』 御剣は、曲名を言いながら、それを口ずさんだ。 「御剣、もうドアの前にいるよ」 8年前のクリスマス。おまえは何にも用意してないようなふりをして、部屋についたら、ぼくの生まれ年のワインや、それから、真新しいネクタイなんかをプレゼントしてくれて。もちろん、ぼくに、――おまえをくれたんだ。 ドアのチャイムを鳴らす。 あれから毎年、クリスマスには、ぼくの隣におまえがいる。 例えそれが、電話越しでも。ぼくにとっては、それが一番のクリスマスプレゼントだった。 靴下を用意することなんて、もちろんないけど、サンタクロースに毎年お礼は言ってる。 こんな風に、これからも繰り返されていく。 ぼくと御剣のクリスマスメモリーが、重なっていく。 降り積もっていく、雪みたいに。 恋人のマンションの、ドアが開く。 いつもより眉間にシワはよっていない御剣の顔を見ながら、ケーキを差し出した。 「メリークリスマス!」 |