memory of a shell






「おい、起きてんだろバカバーグ」
 かけられた声に、アイスバーグはゆっくりと瞳を開けた。

「ンマー、てめェはまた予測不能な事ばかりするなぁ」
 苦笑しながら弟弟子の顔を見上げつつ言えば、間髪入れずに怒鳴り声が振ってくる。
「うるせェッ!おれが来なかったらお前ガレーラの奴らにエライ目に合わせられてたんだぞ!わかってんのかよ!!」
「んな事するか。 あいつらは遊んでるだけだ、てめェとは違う」
「なんッだよそれ!? 助けてやったおれが悪者だってのかっ!!」
 フランキーはアイスバーグの至近距離まで顔を近づける。
「ンマー、落ち着け。 悪かった、心配かけたな、フランキー」
 アイスバーグはそう言いながら、兄貴風を吹かせた笑みをフランキーに向ける。
 姫抱きされながらも、リーゼントの髪をくしゃくしゃと撫でた。
 フランキーは自分の表情が緩みそうになるのを必死に抑えつつ、返事を返す。
「か、勘違いすんなよな。アイスバーグの誕生日祝うのは、お…、ココロのババーやヨコヅナが楽しみにしてんだッ」
「そうだな、久しぶりだからなァ。ンマー、祝う年でもねェけどな」
「で、いくつになったんだお前?」
「ンマー、35だな」
「――へエ。 んじゃ、ほ、ほら、…やる」
 
 フランキーはその場に座ると、アイスバーグにプレゼントを差し出した。
 なんの包装もされていない、裸の貝殻がひとつ。
「…フランキー、おめェ」
「おめっとさん」
 アイスバーグは薄い黄緑色のそれを受け取る。
 ――これで、17個目だ。
 ふたりにだけ解るそれに、忘れるはずもない意味を感じて、アイスバーグは不意にフランキーに口付けた。
「!? ま、まだ酔ってんのかお前…?」
「さぁな。――今年のはまた格別に…綺麗だな」
 アイスバーグは受け取った貝殻を日の光に晒す。
 瞳に映る、優しい色。
「気に入ったかよ、オイ」
 フランキーは先程までの剣幕も忘れたように、にい、と笑っている。
「ああ。――ありがとう」
「…あ、あのよ、実はまだ…時間、あんだけどよ」
 極上の笑みを向けられ照れながら、フランキーは言いにくそうな声を出す。
「だろうと思ったぜ。夕飯には後、三時間はあるじゃねェか」
「なんだよ。やっぱおれ達よりガレーラのヤツらと…」
 また嫉妬まじりの台詞が始ろうとすると、アイスバーグの声がそれを遮った。
「フランキー、おれぁ海が見てェな」
「へ…」
「連れてけ」
 命令形の、絶対的な声が、フランキーの表情をまた喜びに変えていく。
「う、うっし!スーパー任せとけッ!!――つかまってろよッ!」
 フランキーはそう叫ぶと、アイスバーグを肩に抱き、地を駆ける。
「おい…っもう少し日陰の道を選べ…、街の皆に見つかる、だろうが」
「アウッ!そうしたら市長誘拐中だって叫んでやるぜ! おれはこの街のワルになりてーからなッ!!」

「――そいつぁいいッ!」

 再会してから今までで一番はしゃいだアイスバーグの声が、フランキーの耳に届く。
 その笑顔を視界に捉える事はなくても、フランキーは満足そうに走り続けた。






 海の見える二人だけの秘密の場所に、フランキーはアイスバーグを降ろした。
 廃船に埋め尽くされた海岸を懐かしむ様に、フランキーは辺りを見渡す。
「変わっちまっただろう、ここも」
 アイスバーグの瞳が憂いの色に染まる。
 胸ポケットに入れた――貝殻の理由。
 その思い出の詰まる場所。
「そうでもねェさ。 空も海も…お前も。おれの大事なモンは何一つ、変わっちゃいねェ」
「…覚えてるか」
「んー、スーパー覚えてんぜ。 今年もまた、駄目だったけどなぁ」
「…バカンキー。いつまで続けんだ、こんな事」

 廃船ばかりが犇めく狭すぎる場所に二人、腰をおろす。

「お前がおれに落ちるまでよ」

 アイスバーグは天を仰ぎ、昔に思いを馳せた。


 四年前まで、毎年聞いていた台詞、かけていた言葉。
 デジャウを感じて、瞳を閉じる。






 ――それは、フランキーがアイスバーグの弟弟子になった年の、1月3日。明朝。
 アイスバーグは自分の誕生日の事など忘れ、仕事に没頭していた。
「なあなあ!アイスバーグ!お前今日誕生日なんだろ? ココロさんが言ってたぞ!」
「ンマー、少しあっちへ行ってろ。今、手が離せねーんだ」
 その頃はまだ子供すぎたのだと、今になって思う。
 トムさんをフランキーに取られたような気がして、邪険にしていた頃。
 アイスバーグの言葉に、フランキーは怒りを露にする。
「…ッバカバーグ!!! もう知らねェ!!!」
 そしてそのまま、夕方になってもフランキーは帰らなかった。
 ココロさんや大好きなトムさんも、心配なのか街に出て探している。
 アイスバーグは終わった仕事を見つめ、溜息をついた。
「ンマー…」
 言葉にならない、後悔。
 まだ10歳という子供に、今日まで投げつけてきた酷い台詞。
 次の日には自分に懐いてくる子犬の様な存在を、それでも認めていなかった。
「おれ…最低だ」

 呟いた時には、もう足は駆け出していた。



 よく考えればアイスバーグはフランキーの行動範囲など、考えた事もなかった。
 その結果が、街を闇雲にただ見回すだけの今の自分につながっている。
 そんな――自分の中では小さくしていた存在だった。
「――くそ…どこにいんだよ…ッフランキー!!!!」





 声がただ、虚しく空へ響いた。


 足もガクガクで、靴の中は擦れているのか、痛みが走る。
 それでもアイスバーグは探す事をやめなかった。
 気が付けば廃船だらけの海辺にたどり着いていた。
「フランキー! いいかげんにしッ――」
 がくん、と身体が地に落ちていくような感覚。
 木材に足をとられ、アイスバーグは砂浜に突っ伏すように転んだ。

 ピリ、と痛みがまた走る。腕、顔、足、腹。
「…いってぇ…」
 釘や木材が、アイスバーグに傷を負わせていた。
 
 だが、そんな事よりも痛んでいた胸に、アイスバーグは立ち上がろうとした。
 その、瞬間だった。

「おい!!大丈夫かよおぉ!!」

 高い声が、耳に届いた。 

「アイスバーグ! い、痛いのか!? ココロさん…トムさん呼ぶかっ?? なあ、大丈夫かよおっっ!!」

 自分をただ真摯に心配する、泣きそうな声が、聞こえる。
 
 アイスバーグはその声のする存在を、ぎゅうう、と抱きしめた。
「……ば、バカンキーが」
「え、え?」
「そりゃこっちの台詞なんだよ――」
「?? わかんねえよう! 腹痛いのか?」
 あまりにも、必死に聞いてくるものだから、アイスバーグの口元が笑いを刻んでいた。
「…ごめんな」
 アイスバーグから初めて聞く謝罪の台詞に、フランキーは動揺している。
「な、なにがだよ」
「朝」
「…う…、べ、別に気にしてねえもん」
「じゃあなんでこんな時間まで家に帰ってこねェ。どんだけトムさんとココロさんが心配してると思ってんだ」
「――だって。 おれ、なんもないから」
「…はあ?」
 今度はアイスバーグが頭をかしげた。
「おれ、金ないし。ココロさんみたくケーキとか、作れねえし。…トムさんみたいにお前笑わせらんねーし」
「…ンマー、何が言いてえ」
「誕生日プレゼントだよ!!!」
「…ンマー…」
 考えもしていなかった事だった。 あれだけ喧嘩をしているのに、あれだけ酷い扱いをしているのに。
 それでもこの小さな存在は、そんな事を考えてくれていたのだ。
「だ、だから…こんくらいしか、思いつかなくて――」
 フランキーはアイスバーグの掌に、光るものを握らせた。
「、貝殻、か?」
「い、一番綺麗なヤツ探したんだからな! すっげえすっげえ探したんだ!」
「これ、くれんのか」
「――うん。…た、誕生日…おめでと」
 ぽつり、と小さな声でそう言うと、フランキーはアイスバーグに背を向けた。
「…廃船ばっかで、見つけるのも大変だったろ」
「…うん」
「…こんな時間まで、飯も食わずに探してたのか」
「…ん」
「おれが、あんな事言ったのにか」
「っ…だって、おれ…、ここに、いてーんだもんっ…!」
 震える背中。 聞こえるのは、涙をこらえるフランキーの声。
 また、アイスバーグの胸は締め付けられた。
「んな事しなくても――お前はおれ達の家族だ。 フランキー」
「、う、うう、…っっく…う、ああああーん!!」

 泣きながら自分に抱きついてくる子供を。
 アイスバーグは嫌ではないと、初めて思っていた。



 そしてその年から、毎年約束事のように誕生日にはアイスバーグの手元には貝殻が増えていった。
 黄色、白、桃色、青、薄紅…、そしてそれが8個目になった時に、台詞が付け加えられた。


「ん、アイスバーグ」

「おう、ありがとうな。今年は巻貝か」

「なあ、アイスバーグ」

「ンマー、なんだ?」

「この貝殻がさ、何個になったら、お前おれの事好きになるかな」

「――ならねェよ。前にも言ったろ、おれはちゃんと女がい――」

「…絶対、スキにさせてやるからな。何個目か数えとけよッ?」

 軽い口付けと共に。

 それはアイスバーグの目の前からフランキーという存在が消える年まで、続けられていた。











 夕日の眩しさに、アイスバーグは目を開ける。
 あの時に、スキだと伝えられれば良かったのだろうか。
 もうとっくに、好きになって、お前に落ちていたのだと。
 そう、言えなくなった今、自分にできるのは、貝殻を受け取る事だけ。
 
 秘密基地に隠してある、16個の宝。胸にあたる17個目の貝殻。

 変わってしまった自分と――、変わらない信頼を寄せてくれる隣の温もり。
「フランキー、おれはお前に落ちる事はねェぞ」
「んなのわかんないじゃねェか。 おれってこんなスーパーなのよ?」
 自分が暗い目をした時に、無意識で救い上げようとする存在。
 それが無くなった時に、あんなに小さかった自分の中の存在が、どれだけ強大なものに変わっていたのかを、解らせられた。
 
「でっかくなったなァ…お前」
 
 自分の腕の中にすっぽりと納まる程小さな子供だったのに。
 今では、こんな風に自分と肩を並べている。
「なに言ってんのよ、お前の方が背ェ高いだろーよ」
「…いや、本当、でかくなったんだ…」
 アイスバーグはフランキーに寄りかかり、また瞳を閉じた。
 隣のぬくもりが動いて、自分の肩に、頬に触れているのがわかる。
 ゆっくりと引き寄せられるまま、アイスバーグは身を任せていた。

「…なんで、誕生日なのに泣いてんだよ、バカバーグ…」
「――うるせェ」
 昔と変わらない口づけも、アイスバーグが嫌がる理由はなかった。

「ちぇ…そんな顔されてたら襲えねーじゃんよ」
「てめェってヤツは――…」
「しょうがねえから夜まで我慢すっかなー」
 ふざけた口調でからかう様に笑いながら、フランキーは砂浜に寝転ぶ。
 アイスバーグはその上に覆いかぶさった。
「…残念だったな。 ココロさん達と飲んだら、おれはすぐに本社に戻らなきゃいけねェ」
「んな! 普通は朝までおれと一緒にいるだろッ!!冗談じゃねェ!!」
 離してたまるかー、と、フランキーはアイスバーグを両腕で抱きしめる。
「そりゃどんな理屈だ、バカンキー」
「アイスバーグは本当おれに対しての愛が薄い! おれはこんなに愛してんだぞーーーっ!!」

 ――バキッ! ドガッ!!
「いってえええええ!!!」
 アイスバーグの鉄拳がフランキーの頭に入った。
「声がでけえ!!!」
「アウッ!なにしやがんだよッ!アホバーグッ!!」
「――ったく、おら」
 アイスバーグはフランキーの胸倉を引っ張った。
「なんだよ、やる気かっ? おれはスーパー強くなっちまったからよ、お前じゃ勝てね…」
「してえんだろ、部屋帰んぞバカンキー」
 
 それでも。
 受け入れてやる事も、愛していると言う事もできないけれど。
 こいつを守る事だけは、絶対に成し遂げるのだと、アイスバーグは心に誓う。
 そんな感情は魅惑的な笑みで隠しながら。

「…すっげえくるな、その顔」
「――…、なあ、フランキー」
「おー、何よ?」
「お前、おれが落ちたらどうすんだ…?」
 今日は誕生日だから。ズルイ台詞をひとつだけ、投げる。

「――お前を攫って、どっか二人だけになれるところに行って…そんで死ぬまで放さねえ」

 これが自分から自分への、誕生日プレゼント。
 アイスバーグの一番欲しい言葉。

「……、バカンキー」
「市長のお前なんかいらねえ。 社長のお前も、おれはいらねーんだ」
「、もう、言うんじゃねェ…」
「全部ぶち壊して――おれだけのもんだって、叫んでやるよ」

 ああ、それが叶う事ならば、人生はなんて幸せなものなのだろう、とアイスバーグは想う。

 想う、だけ。

「――そりゃ、一生ねえ事だな。 …行くぞ」
 言いながらフランキーから退き、アイスバーグは立ち上がり背を向けた。
 足が、少し震えている。
 迷うな。 絶対に迷うな。
 そう自分に言い聞かせる。

「…アイスバーグ…」

 探す事が得意な少年だったなら。 自分の心を探って、この想いを探し出して欲しいなどと。
 言える筈が無い。
 もしもそんな事ができるとしたら、ひとつひとつ心にある貝殻をフランキーは探し出し、その度に笑うのだろう。
 なんだよ、とっくに落ちてたんじゃねーかっ、と言い、笑うのだろう。

 そこまで思った時、アイスバーグの足の力が抜けた。
 そのままガクン、と身体は揺らぎ、砂塵が視界を覆いつくす。

「おいっ!!!」
 その前に――、アイスバーグはフランキーの腕の中にいた。
 大丈夫かと言って、大粒の涙をこぼした少年は、もういない。
「…、はは…、んだよ、バカンキー」
 もう、――戻れないのだ。
「な、なあ、疲れてんのか? 少し休んだ方がいいぜお前」
「――あんな、ガキだったくせによ」

 戻りたい、のか。 戻れない、のに。 戻せない、のか。 
 ぐるぐるとアイスバーグの思考回路に、その言葉が巡る。
 アイスバーグの視界が変わった。 先程ガレーラで見せたように、フランキーはアイスバーグを抱えている。

「ンマー…、あんなチビッ子だったのに…」
「アイスバーグ」
「…」
「ちっと早いけどよ――ココロのババーん所、連れてくからよ。 んな顔、すんな」
「…」

 ざくざくと音を鳴らし、フランキーは来た道を戻りだす。
 本当に昔から、勝手で我が儘でどうしようもなかったのは、自分の方だったのではないかと、アイスバーグは心で小さく自問自答する。
 それがどれだけ、今自分を包み込んでいる存在を傷つけたのか。
 そして今も、傷つけ、これからも傷つけ続けるのだろう。


「やっぱおれ、なにもできねーのよ」
「…フランキー?」
「金有ってもお前の欲しいモンわからねーし、お前の為にケーキも焼けねェし、…お前、泣かしてばっかだ」
「これ、くれたじゃねーか」
 アイスバーグは胸ポケットから薄い黄緑色の貝殻を取り出す。
「…ガキん時と変わらねーじゃねえのよ。」
「――おれは、毎年これが一番、嬉しかったんだぞ」
「んなの…おれの想い、お前に押し付けてただけじゃねーかよ」
「それで、いいんだ」



 フランキーがアイスバーグに貝殻を贈るのは、側にいたいからで。
 アイスバーグがそれを受け取るのは、それを許しているからで。
 もしもこの貝殻で最後になったとしたら。
 アイスバーグはフランキーを、側に置く理由が無くなる。
 家族として、側に置くことも出来なくなる。

 それでいいんだと、アイスバーグは繰り返した。
 ――海が、深くて、空が、澄んでて、お前がここにいれば、満足なのだと。
 言えない台詞を、心で呟いた。

「フランキー、そっちは違えぞ」
「アウ? 何言ってんだよ、ココロのババーん家はこっちだろ?」
 アイスバーグはゆっくりと腕を上げ、秘密基地を指差す。
「…あっちだ」
 フランキーは動揺しつつ、アイスバーグを見つめる。
「疲れてんだろ、あの場所じゃお前、休めねーぞ?」
 アイスバーグは身体の力を抜く。


「ケーキが焼ける前に行ったら、タイミング悪ィだろーが。 そんくらい解れ、バカンキー」

 ただ、アイスバーグは。
 もう少しだけ、フランキーと言う名の海を、泳いで。 フランキーと言う名の空を、見つめていたいだけだった。
 それもまた、言える筈もない事だから。

 35年前の今日生まれた深い青色の髪の男は、

 21年分の愛が籠められた貝殻を掌に包み、



 ――瞳を閉じ、口付けを待った。