(――この身体が血に染まるならおれは、そのままでいい。

 おれは他人の血が、とても好きだ。

 それは自分に血を流させた罰に見えるから。

 だから、おれは他人の血が流れるのが好きだ。

 むしろそれを望んでいる。
 
 その度に、血を流し泣いた自分が一人、消える。

 それが全て無くなるまで、おれは人の血を浴びる。

 それを、望んでいるんだ。



 
 ――それなのにこいつは、おれの前で歯を見せ笑う。

 おれがこんな感情を持っているなんて、知りもせずに。

 おれがこいつの笑顔を見ない日は、最近まず無い。

 どうでもいい下らない事で、こいつは笑う。

 知らないってだけで、笑う。


 なあ、おれの心掻っ捌いて見てみるか?



 ――きっと、お前は、笑えなくなるだろう…――)






 A shameless guy







 とても酷く酔っていたのだと、ルッチは思う。

 普段はここまで羽目を外す事はなく、こんな風に誰かの隣で寝ている事などありえない。

 だが、目の前には、月の光に光る金色の髪と、それに反射している様に見える透き通った青い瞳があった。

 その持ち主は今、ルッチに覆いかぶさる体勢を取っている。

 そっと、頬に手を伸ばしてみる。
 もみ上げは指の腹に、くすぐったいような感触を与えてきた。

 部屋を包む、紫煙の香りと、アルコールの匂い。
 混ざったそれが、ルッチの身体に染み込んでゆく。

「――抱いても…いいか」


 こいつにしては大人しい声を出すものだと、内心ルッチは可笑しかった。

 自分よりも随分と焼けた肌色の指が、物真似のように自分の髪を撫でてゆく。

 無骨だが、ゆっくりとした優しい動き。
 
 ルッチは緑色の瞳を、そっと閉じる。

 それに合わせるように、ルッチの鼻をつく葉巻の香りが、強くなっていく。
 触れるか触れないかの、ぎりぎりの所で、ルッチの唇が言葉を紡いだ。



『…初めてじゃない…いいのか?』



 パウリーの行動を制止するには、丁度いい言葉を、ルッチは選んだつもりだった。

 だが、唇は合わせられた。

『――、ん…っ…』

 自分は飲んでいない、ウイスキーの味が口内に広がってゆく。
 音を立てて自分の唇を貪っている男は、普段破廉恥だのなんだの言っているとは思えなかった。


 二人はよく、閉店まで酒場で飲んでいる。その時に酔いつぶれていたパウリーを自宅へ運んでやるのが、ルッチの日課になっていた。

 パウリーは無邪気な顔で笑うと礼を言い、ルッチにお礼のキスをする。
 それは軽く触れ合うだけで、そのまま彼は寝てしまう。

 ほんの少しだけ、ルッチに物足りなさが残る。
 そんな自分が信じられなくて、最近は二人で飲むのを控えていたつもりだった。

 この男と出会い、2年の時が過ぎようとしている。

 無論ルッチは己の使命である任務を全うする為にこの会社に潜入している訳であり、パウリーを始めとしたガレーラカンパニー社員の面々に心を開く事はない。

 ――そのはずだった。



「…、ルッチ…」

 こんな風に熱持った声が自分の耳に入る事も。
 こんな風に熱持った指が自分の頬に触れる事も。


 あってはならない事柄のはずだった。


『…聞こえて、いるのか――?』


 困った事に、ハットリは外の枝に止まったままだ。
 そのまま腹話術の声で会話を続ける自分は、とても滑稽にこの男の目に映っている事だろう。

「じゃあ…リードしてくれるか?」

『――…?』

 思わず目を合わせれば、優しい瞳に出会う。

『、汚いぞ…、おれは』


 ルッチは動揺していた。
 これは計算外だ。
 こいつにそっちの気はない筈だし、あったとしても自分と彼がそうなる筈もない。
 
 他の社員とは格別に違い、パウリーには憎まれても可笑しくないほど、酷い仕打ちばかりしている日々。
 喧嘩三昧で、仲の悪さならガレーラ一の状況に、ルッチは持っていったはずだった。


 それがこれは、何だ?

 なぜそんな瞳が自分に向けられるのかが理解できず、それはルッチの思考を遅くしていた。

「何言ってんだルッチ、こんなキレイな身体してよ」

 そんな言葉がパウリーの口から出てくるはずはない。

『何度抱かれたかわからねェような奴を、綺麗とは言わない…』

 何を言えばパウリーの行動を制止できるのか。

 何をすればパウリーの言動を制止できるのか。


 汗のにじんだ身体に触れる指先は、どこへ行こうと言うのか。


「――ほら、どうされたいか教えてくれ」


『…、さ、触るな――』


「、おれじゃ、駄目か?」


『――何をさっきから…、酔いすぎだぞお前…』

 なんとかパウリーの腕を外す為、それに触れる。

 瞬間、ルッチはその腕を掴まれていた。

「おれは、酔ってねェよ」

『酔っている、何本飲んだと思ってんだ――、いいかげんにしろ、パウ…』

 力強く、抱き寄せられる。 ルッチの思考は一瞬凍りついた。

 それは何の為だったのだろう。
 今自分は何の為に生き、ここにいるのか。
 それは任務を遂行する為だ。
 それならば今までと同じく、別段こいつに抱かれた所で、今までとは変わらない筈だ。
 
 任務の為に必要な事ではないが、邪魔になるものでもない。
 期限が来れば、自分はこの街を出る身なのだから。


 それなのに、なぜこうまでして自分はこの男を拒絶しようとしているのか。

 それはルッチ自身、わからないでいた。

「おれの――恋人に、なってくれ、ルッチ」


『…っ…!??』


 それはルッチが今まで生きてきた時間の中で初めて聞いた、自分に向けられた愛の言葉だった。



 あまりにも、心地よく耳に残るので、抵抗しようとした腕が、ベッドに落ちる。

「おれの側に…一番側に、いてくれねェか?」




 こんな軽口ばかり叩く男の、こんな真剣な声を、ルッチは聞いた事が無かった。

 今までルッチを抱いていた男は、気まぐれや性欲の為だった。
 
 それは一般的に分類すれば、酷い行為だった。

 身体と精神はただ、消耗し傷ついていくだけ。

 ルッチはそんな自分の身体に嫌悪さえ抱いていた頃があった。
 だがそんな感情はもう、とっくに捨てた筈だ。

 今ルッチは、自分の穢れた身体に触れる穢れない身体が、どうしようもなく怖くなっていた。

『…抱けば満足なら…、そうしろ』



 どうして、こんな台詞を吐かなければならないのか。


 どうしていつものように、すぐにこの部屋から出て行かなかったのか。


 どうしてこの関係を、壊すような事を、しなければならないのか。



 そこまで考えて、ルッチは少しの自己嫌悪に陥る。

(おれは――この男に、執着しているのか?)


『…だがな、お前との関係を変える気は、おれには無い』


 これ以上の偽りの拒絶を、ルッチは言葉にする事ができなかった。


「――…」

 軽口の男が、口を噤んでいる。

 その沈黙がルッチはどうにも悲しくなった。

 そして、自分のタンクトップを巻くし上げ、肌を晒そうとした行為が始まった瞬間、全ての抵抗をルッチはやめた。


(なんだ…こいつも、一緒じゃねェか)

 あんなに笑いあったりしたのに。
 あんなに怒りあったりしたのに。

 それを自分は見破れなかった――それだけだ。



 生まれたままの姿になったルッチから、パウリーは手を外した。


 そして自分の肌も、緑色の瞳の前で晒していく。


 このままこの男は自分を抱くのだろう。

 そして変わらずまた、明日は笑顔で、自分の前に、いるはずだ。

 そしてルッチがこの街を出る瞬間、まで、名前さえつく事のない穢れた関係を続けるのだろう。

 今まで愛無くルッチを傷つけてきた男達のように。



 それが、ルッチの表情を歪ませた。

 パウリーは全裸になり、ルッチにまた触れる。

 伸し掛かられると、彼の雄がルッチのそれに触れた。


(なんでもいいから…しゃべってくれ)

 そう思う自分を妙に思う。

 お前は、パウリーだろう、と。

 そんな風に思うほど自分は、彼に何を求めていたのか。

(それが出来ないのなら、あの馬鹿すぎる笑顔を見せてくれ、それから抱けばいい――。

 そうしたら、お前はお前のままで居させてやるから。

 おれの心の中でだけ、おれの恋人で居させてやるから)


 また、先程のように自分の唇に寄せられるパウリーのそれ。

 ぎゅう、と強くルッチは瞳を閉じた。


「…じゃあ、抱かねえ」




 沈黙が、数分続いた後、ルッチはそっと目を開けた。


『――なんて、言ったんだ、お前?』

 そこには、ルッチの見たかった笑顔があった。


 触れる身体は、あまりに熱い。


「絶対…抱かねェよ。 困らせてごめんな」






(――…、ああ、そうか。

 おれは…こいつを…――愛しているんだ)

 ぼうっとした頭で、ルッチはそう思う。

 だから、この心地よい関係を壊したくない。

 いつか一生会えなくなるなら、最初からこの男を手に入れたくなどない。


 それを無くした経験を、自分は持っていないから。

 大事な存在を自分から手放す感覚を、知らないから。



 だが今自分の髪を撫でている、パウリーという男を。



(――どうしようもなく――)


『……欲しい』


 パウリーの青色の瞳が、大きく見開かれる。

「、ルッチ…おれ耳可笑しくしたみてェだ…」


『…、欲しい、と言っているんだ。ちゃんと聞け、バカヤロウ』


「ば、バカはてめェだ! そういう事言うとな、おれだって男なんだからな…っ我慢が――」


『…脱がしといて抱かないのは男じゃねェぞ、パウリー』



 今なぜ自分は笑っているのか。

 恐らくそれは、わかってはいけない事だ。


 この感情を自分は知ってはいけなかった。

 知るはずも――無かったのに。

 勝手に腕はパウリーに伸びてゆく。

「――おれを、好きじゃねーんだろ?」




(元々おれは、何もねェじゃねーか)


 だったら、失う悲しみなど怖がる必要はない。

 どうせ一度きりの人生なら、それもまた一興。








『…身体に聞いてみろよ、ハレンチ野郎』





END?