『その夜、猫と犬は愛し合う』 (前編)






 薄暗い部屋で、髪を乱した男と二人、暫く抱き合っていた。
 ルッチは相手が動くのを待っていたが、一向にその気配がないので、いい加減に痺れを切らした様に溜息まじりに呟いた。

『おい、当たってるんだ、もうやる気なのはわかってる…さっさとしろ』

「……嫌じゃ、ねェか」

 切なすぎる声で、不安そうな瞳でそうパウリーが聞いてくる。
 どっちが抱くんだかな…と、なんだか苦笑しそうになりながら、金髪に手を伸ばし、そっと撫でる。

『言語理解能力が少なすぎるなお前は。おれの台詞も忘れたか』
「、…欲しいって言った」
『そうだ、おれもお前が欲しい、お前もそうなら、問題ないだろう』
「なんか、思ってたのと違う…」

 それなら、自分の方が思っていたのと違う展開で焦っているんだぞ、とルッチは胸中でのみ思う。

 昨日まではガレーラの同じ仲間。
 先程その均衡を崩したのは、パウリーの方だ。
 
 どうしようも無く相手を欲しいと思わせたのは、パウリーの方なのに。今更ここまで来て、何を言っているのか。

 さっさと欲望だかなんだかに任せて、乱暴に抱けばいい。
 そんなこっちの思考が相手に伝わらないのが歯がゆくもあり、そんな思いがある事を気付いて欲しくもないとも思う。

『理想を押し付けるな、おれは女じゃねえ、今までみたいにいくか』

「――今まで、なんかねーんだけど…」

 パウリーの小さな囁き声が、ルッチの耳に届く。

 少々それがルッチの口元に笑いを刻む。

「ぁあ!? ひでェ! 笑ったなお前!?」

『どこまでガキなんだ、お前は…好きな女も抱けなかったのか?』

「そんなんじゃねえよ! おれが初めて抱きたいと思ったのはお前なんだぞ!?」

『…パウリー、真性ゲイだったのか』

「だから違うって! 好きになった女くらいいるけどよ! だからおれずっと――ああ、もうちくしょう!!」

 口では勝てないと悟ったのか、自分に口付けてくる男の背に手を回す。

『…ん、ぅ』

「、は…ルッチ…、ルッチ…だ…」

 今まではここまでだった。軽い口付けをお礼の代わりにし合う関係。

『嫌じゃねェ…、』

 困ったものだと、ルッチは自分の髪を掻きあげた。
 瞬間、首筋にパウリーが口付けてくる。
 さすがにやり方はわかるんだな、と安心しつつ、身を任せる。

「…、…、あ、跡、ついた」

『髪で隠れる場所ならいい。見える場所にはつけるなよ』

「わ、わかってるって…、なんだよもー手馴れてるな」

『そうだ、おれは初めてなんかじゃねぇからな。リードして欲しいんだろう?初心者パウリー』

 冗談交じりにルッチはそう言うが、内心はどす黒いものに飲み込まれていく感覚に陥っていた。
 ここ数年は女を抱いただけで、男に抱かれた事はない。

 思い出す度、頭が痛くなってくる程の、嫌な思い出でしかない、抱かれるという行為。
 それでも、パウリーが欲しくて、求められるのが嬉しくて、だから抱かれてもいいと思う。


 ルッチの身体に、点々と散っていく花びら。

『、…ん…っ』
「ルッチ、声、抑えてんのか?」

『…、黙ってろ、ッポー』

「腹話術の声でもいいからよ、声出せって」

 うるさい。何も知らないで。と、少々子供じみた事を思いながら、ルッチはそれでも口を噤んだ。

 聞かれるワケにはいかない。 それだけはあってはならない、と。

 この任務を最後まで遂行し、この男の前から姿を消すまでは、絶対に自分の声を出す事はあってはならない。


 ギリギリと音が聞こえる程に、ルッチは歯を食いしばる。

 ルッチ自身は、パウリーの口腔内にあった。 それは急激に質量を増していく。
 己を何度も愛撫する舌と指が、あまりに熱持った動きをするので、ルッチは声を抑える事に神経を集中させるので精一杯だった。

 こんな筈ではない、もっと余裕を見せてやれる、と思っていたルッチは、生理的な涙を拭う。

「、ん、…く、っは…っ」

『、…、く――ッ!!!』

 ドクン、と発散された精が、パウリーの喉に打たれる。

「――げほッ! …がはッ…!! う、え…苦ぇ…」

 はあ、はあ、と荒い息を整えながら、ルッチはようやく声を出した。

『、わ、悪かった…、』

「いや、…でも、いった…のは、嬉しいしよ」

『嬉しいのか』

「おう、気持ち悪かったら、勃たねーだろ?」

『……』

 無理やり、そうさせる事も出来るが――と、また過去の記憶に苛まれそうになったルッチを、パウリーが現実に戻す。

 苦めの、口付けをもって。

「――こっから、どうすんだ?」

『パウリー、お前、それでおれを抱くだのなんだの、言ってたのか?』

「いや、わかるにはわかるんだけど、わかんねーから」

 また理解に苦しむ台詞を投げられ、ルッチは言葉を無くす。

『…』

 ぶっちゃけた話が、めんどくさいヤツだな、が7割。コイツらしいか、が3割だった。

「ルッチ、怪我させたくねぇ、から」

『突っ込めばいいッポー』

冗談まじりに言えば。

「…そんなコト、言うなって」

本気で心配している悲しい目に出会い、苦笑するしかない。

『…嘘だ。 やさしく…しろよ』

なんだか、自分ではないような台詞に、ルッチは苦笑を隠せない。
本当に、パウリーの前では、これが素なのだろうか…と想ってしまうような自分が見えてきて。
心臓を鷲づかみにされる、などとよく言うが。
(そんな気分なんだろうな…今、おれは――)

好きだと思う。 とても好きなのだと。 泣きたくなるくらいに、ただ、愛されてみたい。

こんな感情は知らなかったし、恐らく知らない方がよかったのだろう、そう理解はしている。
だが――。

『お前が…悪い。 お前が、おれを欲しがるから、おれはお前に抱かれてやるんだ』
「おう。わかってる――…、おれはお前が大好きだから。 昔から、それは変わらねえよ?」
『…変な事を言うヤツだな…』



―― ん? ――


昔、?


霞みがかったような思考回路に、一房の金髪と…、子供のはしゃぐような声が聞こえた気がして。
ルッチは目を細める。

目の前にいるのは、もちろん金髪碧眼の青年だ。
(今のは…なんだ?)

「ルッチ、お前は本当、変わらないんだな…。 綺麗なままだ」

『…っ!?』



―― 『おれ、パウリーってんだ。 お前の名前は?』



(なんだ? なんだ、今のは…?)


「…あのよ…

 もしかして、 お前、覚えてねえの?」

『―― 、いいから、 そんなコトはどうでも…』
「よくねえよ。 なんだよ傷つくなぁ…。 プロポーズまでしたのに」
『――うそだろう…(信じられねえ)』


ようやく、うっすらとルッチの記憶が戻ってきた。

あの。 幸せだった、思い出の日を。 それに触れるようにして、ルッチはそっと自分を思い出していった。
(…ああ。 くそ…こんな、こんな時に――)

そしてすっかり思い出してしまった。

「…ちっとも、覚えてねえの?」
『覚えてない』
「…ちぇえ〜〜…、いいよ、今度アレ見せて思い出させてやる」
(あ、あれってなんだ???)

平然を装っていたルッチに、また優しい口付けが降りてきた。

「とっておきだったんだけどな。まあいいや…、なあ
 おれ、これからお前を抱くぜ?」
『わかっている。しつこい。 気が変わらないうちに、さっさとやっちまえ、パウリー』

「ルッチ、色気がねえ…」
『そんなもん必要か?』
「いや、おれはそのままのお前が好きだから…いいんだけどよ。…じゃあ…いただきます」

(それじゃ、おれは食われるみたいじゃねえか)

実際そうなのだが。 調子の狂わせられたルッチは、相手の行動にまた衝撃を受ける事となる。

『…っ!!! お、おいまて、バカ!! この犬やめろぉ!!!!』
「へぇ? だって、ここに入れるんだろ?」
『イキナリ突っ込むやつがあるか!!!!』

―― ドカ!! バキ!!! ガンゴン!!!
「いいいいってええええええええええええ!!!!!!! なぐ…!! 殴ることねえだ…!! 痛!!!」

『少しは常識で考えてみろ!(この行動自体、常識外れだと言われがちだが…)』
「…はは、わかってるよ…冗談だって」
『ほ、本当か…(焦らせやがって…)』

ごめんな〜、と髪を撫でられ、それで機嫌が良くなっていく自分に、少々嫌気が差す。
(どれだけ、おれはこの男に溺れているのだろうな…)

仕方がない。 もうとうに昔から、ルッチのココロはパウリーだけのものなのだ。
無意識のうちに、選んでいた。 たったひとつの愛を。 相手を。

…悲しいかな、それが叶わない人生を歩んでいるとわかってはいても。

(それでも、欲しくて欲しくて、たまらねえ)

いっそ自分がコイツを抱いてもいい。 だが、求める事よりも、求められる事の方が、ルッチは欲していた。

愛されたい、パウリーに。
唯一、自分を愛しているといってくれた男に、
ただ、自分も…伝わらなくても。 この体と心にある、想いを伝えたかった。

「愛してる、ルッチ」

ルッチの胸飾りに触れる、赤く蠢くソレが触れるたびに、身体から脳に駆け上がっていくしびれる熱情。
『…(声を出さずに、いられるだろうか…)』

そのような行為は得意になっていたが。
この声を 聞いて欲しい、そう思っているのも事実。
だが、そんなコトをすれば、この街を落としいれ、市長抹殺計画(予定ではあるが)が、無駄になる。
それだけは避けなければならない。 例え自分を偽ってでも。

偽りの、愛に摩り替わってしまっても。

…それでも、今、コイツが欲しいと誓えるから。 だから。 誰にでもなく、ただ許しを請う。

「…っは…、ルッチ、すげー…綺麗。 舌、キモチイイし…」
『…、いい…から…、っぁ…明日も出勤だろう? 早めに、済ませろ…前戯は…いい、か…っぅ…!!』

キツク吸われて、思わずルッチは仰け反る。
「…、ここ、いいの?」
(…そんなコト聞くんじゃねえ!!!)

おかしい なにかが おかしい。
だって自分は今まで数々の男に抱かれてきたし、抱いてきた。女もそうだ。
それなのに、こんな感覚は知らない。
ただ手で、指で触れられるだけで、感じてしまう。
舌で舐められれば、しびれる甘い喘ぎが喉をつく。

―― ここがいいかだと?

『(いいに決まっている。 そこだけじゃねえ、全部、…ぜんぶ、どうにかなりそうだ)』

パウリーの手は、ルッチの半身に伸びていた。
「じゃあ、ここは、もっと…いいよ、な…」
嬉しそうに言う、恋する相手を少し恨めしく思う。

(マズイ 声 が …ああ!!!)

「…x、ッア!!!」

「―― ルッチ?」

(…落ち着け、裏声だ。普段とそんなに変わりはしない)
『…、パウ、リー…、』

きっと自分は、熱持った声と瞳で、相手に接しているのだと思う。
証拠に、パウリーがどんどん発情していくのが解る。

「…おれ、も、なあ、一緒に――」

雄と雄が、触れ合う。

絡ませるように、擦り付けてくる雄犬が、なんだか可愛く思えた。

『…ああ、好きに動け』

一瞬、自分も動いてやると。



あとはただ、感情と欲望が、襲い掛かってきた。










(後編へ続く)