『その夜、猫と犬は愛し合う。』(後編)



『パウリー』
「おう」

『…お前、ふざけているのか?』
「なにがだ」


朝日の差し込むカーテン。
窓辺からは、小鳥のさえずりが聞こえ、そして緩やかな春の風が吹き込んでくる。
そんな、パウリーの狭さで有名なアパートの寝室(リビング兼用)

ふたりで寝るには、少々狭い、太陽の香りのベッドの上で。

CP9、ロブ・ルッチ氏は大変、ご立腹だった。

理由は、とてもシンプルなもの。

『…どうして!!! 一晩かけて、人の一人も抱けねえんだ!!! この、○無し野郎――ッッ!!!!!』
「うわああああ!!!! 声!! 声でかいってルッチ!!! アイスバーグさんに聞こえ…っ!」
『その名前を出すんじゃねええええええ――!!!!』


―― 以上、ルッチ氏、お怒りの咆哮でございました。

(確かに、こいつがとんでもなく、男とか女とか、そういうの全部ひっくるめて、奥手(なんて言葉じゃ片付かねえが)なのは、承知していた)

…だが、いくらなんでも。 3時間もかけて、そう、気がつけば爽やかな朝。

「ごめん!!! ちょ、疲れてた…っ!? 痛い痛いって頬がのびるぅぅ〜〜〜〜〜☆」
『のびちまえええ!!! このオレサマを抱こうってのに、途中で寝る馬鹿があるか!? 恥かかせんじゃねえ!!!』



嘘だ。 本当は、関係がまだそんな簡単に進展させられるほど、ルッチの心境はこの状況を受け入れられなかった。

不安そうな瞳に、パウリーが自粛した事も、薄々ルッチは気がついていた。
だが。

(そんなコト、言えるか。 別に初な女じゃあるまいし、パウリーの一人や二人に抱かれようが、なにも変わらない)

強がりばかりが胸中を支配し、だが、今パウリーの胸に抱かれているルッチは。
甘い感情に少々、どうしたらいいのかわからなくなり、つい、照れ隠しで喧嘩をふっかけてしまうのだ。

「―― じゃあ。このまま抱いていいのか?」

そのパウリーの意外な言葉に、ルッチの指が頬から外れる。
顔は、真っ赤だ。

パウリーが、ニヤリと笑う。
『…、今日は、朝からガレーラの会議がある、それからおれもカクとの…用事が…』

平然を装うルッチだが、視線をうろうろと部屋に移せば、動揺は、目の前の男に知られているだろう。
それが、悔しい。

「おれより、カクなんだ?」
『…、ヘンな言い方をするな。』
「付き合い、長いんだもんな?」
『男の嫉妬は醜いぞ(おれも社長に対してはそうだが)』


「…じゃあ、キスだけ」

にこ、と幸せそうに笑う金髪の男は、長い烏の濡れ羽色の髪の男にそっと甘えを見せる。

『…、今夜は、逃げん――。』
「ホントかよ。 さっきまで腰、引け気味だったクセに」

(全てお見通しか、嫌なヤロウだ…、パウリーのくせに)

ちゅう。

まるで犬耳でもついてそうな忠犬な男は。
まるで猫の尾でも棚引かせているシャイな男の頬に口付ける。

ルッチはひとつ、小さくパウリーの耳に囁きを落とした。

『お前が、ヘタくそだからだ』

苦し紛れの理由をつけくわえ、そのまま自分から唇を奪う。

(そう、おれは奪われるよりは、奪う方の男だからな)


気がつくと雨が降り出していた。 全てを洗い流すかのような、静かな音のない雨。

「―― ルッチのリードがダメなんじゃねえの?」

(嬉しそうな顔をする)


愛の言葉も将来の誓いも。
夢も希望もなにもない。

あまりにも、刹那な関係を、それでもルッチは欲しかった。

(今だけだ…、今、だけでいい)

この笑顔を、声を、仕草を、自分へ向けられた、あまりにも深い愛を――。

『忘れたく、ねえ…』
「 え ? 」

『…、パウリー、おれを好きか?』
「ああ。 何度も言ってんだろ。 生涯誓って、お前だけを愛すよ」
『おれが死んだら、どうする?』
「なんか、ドラマで見たような台詞だな」

パウリーは、静かな淡い深緑の瞳を覗き込んだ。

「お前だけだって決めたから。 そうだな…誰も愛さねーよ」
『明日おれがそうなっても?』


「…ルッチが、おれの事を好きになってくれたら。少しでもそうなら。 一生かけて誓うさ。 お前だけだって」

真っ直ぐで偽りのない言葉と瞳に。 吸い込まれるように長髪の男は。うなだれた。


『…そんなの、おれの望みじゃねえかもしれないだろう…』

「だってヤクソクしたじゃねえか。 おれ、お前にプロポーズしたろ?」

『――覚えていない(嘘だけど)』

「プロポーズって 一生に 一回キリだろ?」


ふと、ルッチは過去に想いを馳せた。


―― 『な、なあ、…おれの。 おれのさ…お嫁さ…――、いや、えっと!! 結婚してください!!!!』


ペコリ!! と深く頭を下げ、そう自分に言い放った少年がいた。

冗談じゃねえ、と一蹴したのか、そうでなかったのかは覚えてはいないが。
ルッチはただ、その事実を、貫き通す青年に心奪われた自分に気付いていた。

どうしようもなく、惹かれた。

蒼い瞳、金色の眩しい髪、白い肌も、喜怒哀楽の激しい顔も。

あまりに、ルッチには新鮮で、ただ、欲しくなった。 愛しかった。 出会った瞬間から。 ずっと、ずっと。


(望めない関係でいい。 裏切りの瞬間がくる事が絶対でも、それでも…)


―― 夢、を見させてくれ。 今、今だけでいい。


触れる指先、唇、合さる視線。

『では、おれはお前の…生涯でただ一人の想い人と、約束できるな?』

狡賢い、卑怯な台詞にも。
嬉しそうな返事が返ってくるものだから、やはり苦笑いが隠せない。

「おう、おれ、お前以外に 結婚してくれなんて言わねえよ? あったりまえじゃんか」

(嘘でも いいさ、パウリー。 お前が幸せならそれでいい、それで、いいんだ)


泣きそうになったが、涙は流れず。 ただこの一瞬一瞬さえも、ルッチは心にとどめておきたかった。
『では、今夜は市長も交えて、法律の改正を望むにはどうしたらいいか、話し合っておくか?』
「…なんだよそれぇ」
『男同士が結婚できる制度ではないからな…どうやっておれを手に入れるのか、見ものだな』

冗談になってしまえばいい。 そう、ルッチは思う。
昨日までの、ただの職長仲間としての関係でもよかった。
毎日この笑顔を見られるなら。 あとそれが数年で消えうせるものだとわかってはいても。

…そっと、ルッチは金髪に顔をよせる。
「―― 誰かに認めてもらいたいとか、そんなんじゃねえよ? おれはただ、こうやってルッチの一番傍にいたいだけだから」
『…うざいぞ、それは』



「―― いいんだよ。 ウザくたって、いいんだ」

(なんだよ、その台詞は)


まるで見返りを求めていない。 ただ、自分の気持ちに正直なまま生きる、太陽のような男。

眩しすぎる。 照らして欲しくなる。 どうか、おれだけを――と、望んでしまいそうになる。
それを、かなえてくれそうな男だからこそ、
『――おれだけを望め、パウリー。 神に誓わなくてもいい。 ただ、おれを愛すると、それだけを、おれに、誓え』

こんな言葉を誰かに放つ機会が訪れる事など、数時間前は考えてもいなかった。

「―― ああ。 誓うよ。 何度だって、言う」


(そしてこれが 誓いのくちづけ。 か、パウリー?)


そっと、触れるだけのフレンチキスは、雨音にかき消されて。


心と心は通じ合い、瞳と瞳が交差し、掌と掌が、合さり、そして、どちらともなく抱き合う――。

『…、(今は言えない、おれにはそう、誓う事さえできない。)』
「―― ルッチ」
『結婚式の日取りは、どうする?(逃げる事さえ、できないが。捕らわれるなら、この男がいい)』

冗談まじりに、また、台詞の掛け合いを始めた、その名はロブ・ルッチ。


こうして、ネコネコの実をその身に宿した長髪の男と。

金髪碧眼の、野良犬根性な、葉巻の似合う男の。


一世一代の、恋愛劇が幕開けようとしていた。

まるで嘘のような。いや、むしろ嘘と真実との戦いと言っても過言ではないだろう。

二人の道が一筋の光へ向かって歩みだしているのを、当人達も気付いては居なかった。


再会、別れ、そしてまた訪れるその日を予感し。

今はただ、愛し合う。 心だけでも、と。

その劇の看板役者を胸に抱いたのは、恋に落ちた、役者でもない、ただのエキストラであったのかもしれない。
「じゃあ、ルッチの誕生日にしようぜ? 6月2日。」




『…ヤクソクだぞ?』




幕を引くのは、主人公である男だろう。 それだけは予想の範囲内であった。


最初の台詞は、なんだったのか。

(覚えているさ、パウリー。

―― お前は言ったんだ、太陽の持つ光で、おれにスポットライトを当てた。


そして、一言、おれに降らせたんだ。


おれの人生の劇の初めに相応しい台詞を交えて、笑った。


それは心にとどめておくが。


「 長い髪だなァ。 さらさらじゃん。 なんか、お前、猫みたいだな 」


今も昔も未来もきっとそう、




アドリブだらけの人生に投げ込まれたお前を。



愛しているよ、心から、誰よりも、ずっと…、永遠にだ。

飲み込む事しかできない誓いだが、わかってくれ。 きっとおれは、日々お前を愛していくだけの、そんな劇を演じてしまう。)



『 お前の髪は金髪で、少し痛みすぎだ。 今度、洗い方を教えてやる。』





第一幕の夜は、ただ甘く。

始まりはそう、いつも雨だった。





END