「なあ、なんでお前、腹話術なんだよ? ヘンなヤツだな〜」

最初にそう、聞いてきた男だったから。

まさか、こんな風に今になって、寂しそうに言ってくるとは思わなかった。



『忘却のマーメイド』




“お前の声、どこ行っちまったんだろうな…?”

いつまでも耳に残っている言葉。

「人魚姫みたいだ」


少し荒れた指先が、おれの唇にそうっと優しく触れて。

「お前の声、聞きたいな…」

愛しそうに、言うから。

『――自分の声など忘れた』


おれの苦し紛れのイイワケをコイツは信じて。
いつか本当の声で自分の名を、また呼んでほしいのだと言った。

『(参ったな、この時ほど自分の状況を歯がゆく思った事はない)』

ああ、そうだな、パウリー。
お前の前では、本当の声も失って、海にも嫌われた俺は、確かに、あの童話に出てくる姫に、似ているな。

飲み薬をもらって足を手に入れ、声を失い、王子へ会いにいった姫。
悪魔の実で化け物になり、声を隠して、お前と再会した俺。

…姫はどんな思いだったんだろうな。
声を出せず、真実を告げられずに。

他の女を選んだ王子を、どんな想いで見ていたのか。

『…』

ベッドでやすらかに寝ている男の金髪を撫でた。
その横に置いてある汚れた絵本の表紙には、笑っている人魚の娘。

…ああ、俺はお前の前では、笑うことも出来てねえじゃねえか…。

笑い方も忘れてしまったんだ。
泣き方も忘れてしまったんだ。

なあ、パウリー、お前に出会った頃の俺は、

どんな声でお前を呼んでいた?

簡単だ、名前を呼ぶ事くらい。
簡単なはずなのに、どうして俺はそれができない?

最後のページを開ければ、何度読み返しても同じ文章が目に入る。


『王子が他の人と結婚してしまえば、人魚姫は泡となって消えてしまうのです。
姉たちは魔女からもらった短剣を差し出し、王子の流した血で人魚の姿に戻れる事を教えました。 
王子の寝室に忍び込んだ姫は、震える手で眠っている王子の胸の上に立てました。
しかし、王子を愛していた人魚姫は、剣を捨て海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天へ昇っていきました…』



――悲しい恋物語だ。

俺に、似合いの。


『…姫は王子の胸に…』

同じように、指銃を胸の上に立てた。

『…なんてな』


“お前の声、どこ行っちまったんだろうな…?”

…ここにあるさ。




「…おれが…取り戻してやるから…」

『…っ!!』

バカヤロウ、それじゃ話が違うじゃねえか。

――それなのに、ああ。

まだ俺は泣く事もできない。


失ったのは、声でも表情でもない。

思い出の中のお前だけだ。





END