――あと何度、この人の誕生日を祝えるのだろう。
 ――あと何度、この人は誕生日を迎えるのだろう。
 




 カクは焦っていた。
 いつもののんびりとした動作や、無邪気な笑顔も消えている。

 原因は、ただひとつ。
 逃げても逃げても追ってくる――、愛しい人のせいだった。



 
言葉の無い誕生会



 8月7日、深夜22時36分。

「…もう、ここまで来れば、平気じゃろう」
 カクは安ホテルの屋上から屋上へ飛び移り、辺りを見回し腰を下ろした。
 額には、疲れからではない汗が数滴、にじんでいる。

「何が平気だってんだ?」
「――ッ!?」
 カクは声の方を振り向かないまま、また空に向かって足を蹴ろうとした。
 だが、腕をとられ、バランスを崩す。
「カク、お前…なんだってんだ? 鬼ゴッコでもしてんのか?」
「………、な、なんじゃ」
「なんじゃじゃねェ! 朝からおれの事ずっと避けてるじゃねえか」
「そ、そんな事はないわい」
「こっちを向いて目を見て言え。 ンマー…こんな事言わせるな。今日はお前の――」
「アイスバーグさん!!」
 言葉を遮るように、カクは声を荒げた。

 逃げても逃げても、自分を見つけてしまう。愛しい人。

 それでもまだ、カクは視線を合わせられない。

「、なんだ、いきなり…」

「ワシは、あんたには祝って欲しくないんじゃ」

「…、ンマー…、そうか」

 声と共に、カクの腕からぬくもりは消えた。
 そっと振り向けば、アイスバーグは頭を垂れ、そのまま屋上から屋内へのドアに向かって歩き出している。
 重い、足取りだ。
 
 カクの心臓が、ぎゅう、と締め付けられるような感覚に陥る。
 あの人は泣かないから、傷ついた心をそのままにしかできない人だ。

「でもなアイスバーグさんっ――ワシは、あんたの誕生日、祝いたいんじゃよッ??」

 いつものゆっくりとした口調はどこへ消えたのか、カクはそんな台詞を早口で叫ぶと、アイスバーグの背に抱きついていた。

「カク…」
「だから…謝らせておくれ」


 勝手すぎる。 
 自分で傷つけて、自分で慰めて。

 逃げ道を作るのに、逃がす事ができない。


 この人は―― 一度も逃げようとしない。
「んな事ぁ言わなくていい。祝われたくねーなら、仕方ねェから普通のプレゼントだって事で、いいな?」
 アイスバーグはそう言うと、手に持っていた紙袋の中から、ワインのビンを取り出した。色は、薄暗くてカクにはわからない。
「ありがたく、受け取るよ」
 カクに、無邪気な笑顔が戻ったのを見て、アイスバーグは安心したように笑った。
「ブルーノがいいのを仕入れてくれてな。 お前は酒が好きだろう?」
 無くしたくない、とカクは心から思う。
「一緒に、飲まんか」
「もちろんだ。クリームチーズとクラッカーもあるぞ」
「さすがアイスバーグさんじゃ」

 この人を、失いたくない。 …もう、時間は無いかもしれない。
 この人に祝われる資格が自分にはない、この人を傷つけるのは、紛れも無く自分だから。
 この人の前から消えるのは、出会った瞬間から決められた事だから。




 カクの自室で、オレンジの蛍光灯に照らされて、ワインが光る。
 やはり色はわからない。ただ、味は最高だった。
「ん、カク…んでだ? きょ、年までは――祝わせてくれた、じゃねえ、か…な、あ…?」
「すまん」
「――…離したくねえのに。カクはいっつも、…飛んでっちまうなぁー」

 アイスバーグはテーブルに突っ伏し、視線だけ上げて、少し恨めしげな視線をカクに送った。
 
 カクは苦笑しながら、アイスバーグの髪を乱すように撫でる。

 酒に酔った時にだけ聞ける。英雄の本音。
 それは一年前この人と『両想い』になって、初めて聞かされた事だった。
 その時も、今までの日々の中でも、全てを聞きだせるかもしれないこの状況でも。
――ワシはこの人の過去ひとつさえ、聞けない。
「おれを――もう、嫌いになったんだろう…ンマー、ひでえヤツだ」
「そんな筈、ないじゃろう」
「じゃあ、いつもの、聞かせてくれ」

「…、ワシは、あんたしか愛せないから、あんたもワシ以外を愛す事は、許さんよ」

 勝手すぎる台詞なのに。アイスバーグは嬉しそうな顔をいつもカクに見せた。

「ああ、誓うさ。 カク…何度だってな」
「――、スキ、じゃ。スキじゃ、スキじゃ、好きじゃ…スキ」
 カクは身体を起こしたアイスバーグにもたれ掛かるようにして、抱きつく。

「おれは――お前のもんだ、カク。こんな若造にな…本気んなってんだ、おれぁ」

 アイスバーグは、カクの短い髪に口付ける。愛おしそうに続けられる行為に、カクは幸せそうに瞳を閉じる。

「誕生日なんか、もう来なかったらいいんじゃ。 このまま、時が止まってしまえばいい…」
「――カク?」
「…、今日がずっと、続いたら、ええのに」
「――ンマー…、どうした」
「あんたを、抱きたい、だけじゃよ」
「ンマー、最初からそのつもりだ」

 アイスバーグはカクが求めれば求めただけ、それを受け取って与えてくれる存在だった。

 無茶を言っても笑って許す。 精神的に泣く事は無く、生理的な涙さえあまり見せない。

 狂おしい程の愛も、まるで同じ位自分にあるのだと言う様に、抱きしめてくれる。

 愛を知らないカクに、それを簡単に教えたのは、アイスバーグという存在だった。







「――、ん、んぅ…っ」

 カクただ、黙って愛しい人を組み伏せる。


 言葉の無い行為に、アイスバーグはきっと不安になっているはずだ。

 それがわかっているのに。

 カクは、喉から言葉を発する事が出来ない。





 プレゼントも祝いの言葉もない――、だがこれがカクの望んだ、誕生会。

 愛しい人を自分だけのものにできる、この瞬間が、何よりもカクの欲したもの。







 12時を知らせる掛け時計の音が、部屋に鳴り響いた。



「、アイス、バーグ、さん…愛しておるよ」

 それに合わせるようにして、カクは甘い睦言を吐き続けた。






「カク、――誕生日、おめでとう、な…」



 恋人の小さな寝言に、カクは目を覚ました。

「…、もう、過ぎてしもうたよ」







 テーブルに目を向ければ、ピンク色の液体がグラスの中で光っている。



END