「あああ!!! 誰だよこんな事したの!!!」

ガレーラ一騒がしい声が、W7に響いた日の、ほんの数時間の出来事。


金髪の青年が、ダンボールにそっと手をかけ。

ちいさな子犬をその手に抱き、額にキスをした。





『Tシャツと君の青空』


それは、W7の空が暗色に染まる、すこし前の事。
「アイスバーグさん、の様子がおかしい」

ガレーラの職長が集まっての、いつもの昼食。
少し離れた木陰で、カクにパウリーが相談を持ちかけた。

「なんじゃ、アイスバーグさんに何があったと言うんじゃ?」
恋人の不安そうな顔に、カクは演技でシンパイそうな顔を作った。

(こんな風に話せるのも、もう少しの事じゃからの…。 すまんの、パウリー)

「んー、おれに対して余所余所しくなったつうか、なぁんかオカシイんだって、とにかく!!」
「…それじゃ全然わからんじゃろ、まったく」
(可愛いのう。 本能で何を察知したのかは知らんが。 このまま何も知らずに終われれば、一番いいのじゃが)

このときは、ガレーラとW7に潜入調査をしている、ルッチを筆頭にした、カク、カリファ、ブルーノは。
アイスバーグとフランキーにのみ、真実を明かし、パウリーだけは、何を知らぬまま、引き起こそうとしていた事件を、終わらせる予定だった。
だからこそ、いまだ優しい恋人を演じ続けているのだ、カクという男は。
(愛しておるのも真実じゃが。 このワンコはあまりにも率直で実直で、それでいて素直すぎるからのー)

できれば、傷つけたくは無い。
できれば、パウリーの大事な人、アイスバーグも、いい社長で市長なのだから、このまま、条件だけ飲み込んで、穏便にことを済ませてはくれないものかと、カクは想っていた。そうすれば、誰も傷つかなくてすむ。 パウリーにも、他に好きな人が出来た、とか、実家へ帰って家業を継ぐ事になったとか、嘘を言って別れれば、それでいいはずなのだと、カクは思い込もうとしていた。

(実際その日になったら、パウリーにワシは、なんと言えばよいのじゃろうな)

「さようなら」、「愛していた」、「すまん」、「もう会えない」、「信じていてくれ」、「いつか迎えに来よう」

頭を過る言葉は全て、薄っぺらい嘘で塗り固めたもの。 カクの思う真実ではない。
(ワシは、遊びのつもりじゃった。この何年かを楽しく過ごすために、パウリーを相手に選んだだけじゃ)
ちなみにルッチとカリファは、市長に骨抜きにされておったがの。

くすり、と笑ってパウリーの髪をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
カクは、困ったように言った。
「大丈夫じゃよ。 今度皆で、飲みに行こう。 社長なら、ワシらに隠し事などしないじゃろ?」

(嘘じゃけど。 あの人は秘密の塊のような人じゃ。 ルッチとカリファと解体屋…一体誰が本命なんじゃろうなあ…??)

それはいいとして、と置いておくと、カクはパウリーのシャツを、不意に掴んだ。
「な、なんだよ、カク…。 まあ、アイスバーグさんのことは、じゃあ、その時でいいけどよ…し、信じてるし、おれ」
「妬ける事を言うもんじゃの、まったく。恋人はワシじゃぞ?」
「う…わかってるっつーの。 ごめん。それで、なんで掴んでんの??」
「――洗濯したの、いつじゃ?」
(だいぶ汚れとるの〜)
「え 昨日だけど?」
「…それでこんなに汚れるもんか?」

オレンジ色のシャツは、乾いた土色になっている。
「ああ。 さっきなぁ、子犬がよ、あっちの河で溺れててさあ」

にぱっと嬉しそうに事の真相を語る恋人を、どうしようもなく愛しく想ってしまうカクが、ここにいた。
(遊びの、つもりが、ハマってしもうたのう)

年上の、借金まみれの、金髪で葉巻の、どうしようもない、男だ。
それでも、可愛くて仕方がない。 太陽に負けないくらいの明るさで、カクやルッチ、カリファやブルーノに、笑顔を取り戻させた事を、きっとパウリーは知らないままだ。
「まったく――、ほれ、頬にも泥がついとるぞ?」
「あ、わ…悪い…」
(こんな風に照れたような顔も、ワシは好きじゃよ。 全部、好きじゃ)

強烈な印象だった。 酒を飲んでは甘えてくる犬に変貌するわ、ガレーラレースでどんなに負けても、諦めずに挑戦して、大穴を当てるわ、仕事は真面目で、手を抜いたことはないわ。

(なんといっても、アイスバーグさんへの忠誠は、ガレーラいち、いや…W7いちじゃの)

そこに惹かれた、一番に惹かれたことを、カクは認めたがらないが――、恐らくそれだけが、カクの真実だった。
「なあ、カク、その卵焼き、ちょーだい」

キラキラと瞳を輝かせて。 
(嘘って言葉、こいつは知っておるのか?…少しは、人を疑えと、何度言っても解らん男じゃし)

まったくの真逆な人生を歩めば、自分も少しは、こんな人間になれたのかと思うと、少しだけ嫉妬もした。
その想いをこめて貫けば、困ったように「ごめん、おれ…なんも知らなくて」などと、珍妙な言葉が返ってきたものだから。「冗談じゃ」と。それしかいえなかったカクがいた。

「食いしん坊じゃの」
そんなところも気に入っているカクが、自分の弁当箱から、黄色い卵焼きを掴み、パウリーの口へ放り込んだ。
嬉しそうにほおばる犬は、ニカ、とまた笑った。
「うめえな〜やっぱ☆ 天才だぜ、料理向いてんじゃねえの、カク」
「まったく調子のいいヤツじゃ。 昨日はルッチのから揚げを食うて、そう言っておったろう」
「へへ…バレた?」
「誰にでも愛想がいいのが、お前さんの難点じゃ」

(それでワシが不安になっとるのにも、こやつは気付いておらんからの〜)

眩しいW7の夏空。 これがあと数ヶ月で、カクらにとっては、お別れの空に変わるのだ。
カクには、それが寂しくもある。
目の前で笑う男を、連れ去ってしまいたい衝動にも、何度も駆られた。だが、その度に、自分の正体を隠していなければ、今の関係もないのだと、解らせられた。

(お前さんは、ワシの真実なぞ、ひとつも見出してはおらんのじゃろうに。 それなのに、ワシを好いておる)
「――じゃあ、もう、カク以外の卵焼き、食わねえ、よ?」
「…くく、冗談じゃよ。 そんなコトでは、ワシの弁当がなくなってしまうからの〜」

そして食べ終わると同時に、カクはパウリーに言い放った。
「パウリー、そのシャツを脱ぐんじゃ」
「――へえ? こんなトコで、なんかすんの?」
(うわ…ワシ、そんながっついて見えるのかの…)
「ヘンな想像するでない。 洗濯じゃ。」
「…あ〜、天気、いいもんな!!」

オレンジ色のシャツを河で洗うと。

キラキラと反射した水と太陽が会話を始める。

カクは、楽しそうに水浴びをしている恋人を見つめながら、シャツを泡立てていく。
「パウリー、全身水浸しじゃ、知らんぞ。風邪を引いても」
「だあいじょうぶだって!! ほら、カクもこっちこいよ!! さっき助けた犬! 可愛いぜえ??」

(お前さんのほうが、何倍も可愛い)


空を見上げる。 青空の中で白い雲が流れていく。
カクは交互に空とパウリーを見、そして笑った。

「パウリー、お前は青空じゃ!!」

「ええ?? なんだよ意味わかんねえって!!」

「どこまでも、ワシの心を捕らえて離さない――、そんな深くて遠く続く、空なんじゃよ!」



(愛しておるよ。 …ワシは、どうしたらいいんじゃ?)


裏切りの焦燥に駆られたオレンジ色の髪の青年は、ただ。

同色のシャツを抱きしめるしかなかった。


「ええ? よくわかんねーけど!! じゃあ、お前はおれだけ見てるって事だろ、カクぅ!!!」
「―― ぱう、りー??」


―― ばしゃん ―― ッ!!!!


河の中で、金髪と蜜柑色が重なった。

「…これ、くすぐったいじゃろ…」


「へへ…、カク、おれも、お前だけ見てるから。 もー、泣くなよ?」

お返しとばかりに、髪をぐしゃぐしゃにされたカクは。

…この男だけは傷つけない、

そう小さく心に誓った。


―― そんな眩しい午後2時16分の風景。


アイスバーグさんが迎えに来るまで、あと10分。



パウリーに背を向けた、

カクの頬に涙が流れていた事は――。


青空だけが、知っていた。






END