観客がひとりもいない、つまらない悲劇が、さっき終わったんだが。
 あまりに独りよがりの劇で、かえって拍手などしたくなったんだが。

 少し時間があるなら、聞いていくか?
 だが、五年分の劇だから、少々長すぎる。

 金髪で葉巻を銜えた男と、黒髪で肩に鳩を乗せた男の、最後の一夜だけ、話してやろう。

 題名さえ無かったな。せっかくだ、おれが付けてやろう。
 こんなのはどうだ。 悲恋物にお似合いだろう?


 
『LOVE.FAKE』

 





「ルッチ、今日の夕飯はなんだ?」
『…とりあえずこれでも食っておけ。』
 おれはテーブルの上にスモークサーモンと白身魚のマリネを置いた。
「ええー、一緒に食いたいんだよ、待ってる待ってる」
『そう思うなら身体にひっつくな。手元が狂う』


 なあ、パウリー。


「お、今日はナスとトマトのスパゲティーか! おれ、チーズたっぷりかけてくれよな〜」

 おれは明日、この街から消えるんだ。

 それから…知っているか、今夜お前の一番愛している人が撃たれるんだ。

『デザートは洋梨のタルトだ。食いすぎるなよ、この前みたく気持ち悪いだのなんだの言ったら敵わん』
「へへ、お前の料理美味いからよ〜」

 手元が、狂う。
 狂うから、おれに触れてくれるな。

『…大人しく座っていろ、もうすぐ出来る』
「じゃあおれ風呂洗ってくるな、後で一緒に入ろうぜ?」
『冗談は休み休み――…、いや…、わかった』
「…え」
『……、早くやってこい』


 おれの視界から消えた金髪。
 代わりに聞こえてくる、下手くそな鼻歌と、水音。
 ガチャガチャと乱暴に洗っているのも、解る。あれだけ注意してるのに治りゃしねェ。
 ああ、口元が笑うようになった。 アイツのせいだ。

 テーブルセッティングは完璧だ。アイツの好きなワインも用意した。チーズもいつもより多めにかけてやるよ。

 最後に野草を飾った。小さな白い花がこの部屋に妙に映える。



 これで、仕舞だ。

 ――カラン。


 テーブルの上には、一人前のディナー。





 おれの分は、もういらない。



 お前の好きなその曲な、覚えちまったよ。
 ミリオンセラーのそれは、お前のせいで、違う歌になった。









 外へ出て街中を駆けて、屋根へ昇って、できるだけ遠くへ、行く。
 あいつは乱暴なクセに意外と時間をかけて作業をするヤツだから。
 あと3分は洗っているだろう。その間に、できるだけ遠くへ。
 あいつの知らない場所へ行こう。


 おれの全ては、にせもので、模造品で、まやかしだ。
 自分でもどこからが本当でどこまでが嘘なのか、とっくにわからなくなっている。

 そんな事はどうでもいい。
 どうでもいい、はずだった。

 つまりは、おれがコイツの側にいた理由も。
 キスをした理由も、身体を重ねた理由も。
 考える必要はない。全てこれは演技。

 即興演奏のようなものなのだから。



 それなのに、なんの、為にだ?
 ――ああ、どうした? おれは何をしている?
 
 簡単だろう、あいつの側にいる事くらい。
 何を…逃げている。 何から…逃げている。


 ――演技のはずだろう?

 あいつにたまに向ける笑顔も、あいつを殴るこの腕も。
 演技と決めたから、茶番劇のように腹話術のままを押し通した。 そうだろう?

 自分で自分がわからない事ほど、愚かな事があろうか。
 この腕で人の血を吸い続けてきたくせに。今更何を求める?
 おれを待っているのは、赤い世界だけ。
 最初からそれ以外に選択肢なんて無かった。気がつけばそれを欲している自分がいた。
 後悔など微塵もない。この任務はもうすぐ終わる。
 今まででも最長の潜伏期間。 だがこの街に情など沸きはしない。今までと変わらない。
 終わればまた、新しい任務を、決められたあいつらと、こなすだけ。
 人を――…この腕で。 五年前に、戻るだけだ。
 うずうずしているはずだろう。おれは血が好きなんだ。
 
 だからだろう。身体が、震えるのは。

『…少し、離れていてくれ』

 声に出さなくても解る賢いおれの愛鳥の重みは、おれの肩から消えていた。
 ひとりになって、少し冷静に考えろ。おれは政府の為と言う言葉を借りたただの殺人鬼だ。
 そうしてひとり死んでいく。おれにとっての快楽はそれだけ。それがおれの生き方。
 
 冷たいレンガの壁に背を当てる。
 ――誰も、おれには必要ない。

「やな、こった」
『――――ッッ!!!』
「何やっ…てんだよ。散歩か? っは――ったく、せっかくの飯、冷めちまう、だろーが」
『…か、帰れ。 今日はおれはもう帰るんだ、ッポー』
「もう…ハットリいねーぞ。 つうか、おれん家の方向に飛んでったっつーの」

 なぜいる。追いつくはずがないだろう。

『すぐに、追いかけてきたのか』
「…明らかに様子可笑しい、んだもんよ、お前。 そん位わかるって」
『…バカだな、そんな息を切らせて。おれが何処かに行くと思ったのか』
「じ、実際行ってんじゃねーかよ…心配、させやがって」

 なぜいる、なぜお前はここにいる。
 なぜおれは、ここにいるんだ。

『……帰れ』
「いやだね! なんだよおれなんかしたか?…お、おい…?」

 バカだな、こんな汗かいて。
 髪だって乱れまくりだ。
 …身体、熱いぞ。 最近髭剃ってねェだろう。
 ――そりゃ、いつもの事か。

『……』
「――、おれには、金の約束も守れねえのは最低だって言ってるくせによ。 …さっき、わかったって言ったじゃんか」

 考える必要はない。これはただの、演技だ。
 もう、演技しかできない。

『そう、だな』
「嘘吐きは泥棒の始まりだぞ」
『…ふ…、昼間に二億泥棒しようとしたヤツに言われたくないが』
「――お、笑ったな?」
『…、それが、どうかしたか』

 台本を書き換えればいい。
 おれの人生の台本だ。
 最後までできる限り…、こいつのバカ面を見ていよう。
 そうして別れの時はこいつに気付かれないようこの街を出ればいい。
 
 おれは、お前を殺さないさ。

 絶対に、殺さないから。


 ――パウリー、おれの正体に気付かない、愚かなお前でいろ。
 それで、おれ達の消えた街でも変わらず、太陽に光るその髪を振りかざして、借金取りに追われて。
 英雄のいなくなった街でも、したたかに生きていけよ。

 おれの事なんて、酒を飲む時に思い出してくれればいいから。
 だから。

「今日お前一回も笑ってなかったんだぞ」
『、勝手に人を監視するな。バカヤロウ』

 その笑顔のままの、お前でいてくれ。

「――ルッチ。 どこへも行くな…な?」
『…言っている意味がわからん』

 だから感づくな。
 ――いや、そうさせたのはおれか。
 いつもと変わらずこいつと一緒に飯を食い寝れば良かっただけだ。

「お前は、なんつーかよ。ハットリなんだよ」
『更にわからなくするな、せめて人間語を使いこなせ』
「渡り鳥みたく――どっか行っちまいそうなんだよ。昔から…遠くばっか見てる」
『…鳩は渡らないぞ』
「っだから! とにかくおれから離れるんじゃねえ!! わかったな!?」

 …困ったな。


 台詞が、見つからねェ。


 こいつの独占欲に答えるのも、嘘で。
 こいつを今抱きしめているのも、演技で。
 こいつが笑うのを望んでいるおれは、まやかしで。


 …つまりおれは、模造品なんだから。
 即興演奏だけが得意の、人間の面被った化け物なんだから。

 こんな風に、感情に負けて台詞も言えないような…。
 ――、感情?

『じゃあ…お前が…離さなければ、いいだろう』
「え、あ…お、おう…そりゃ、そうだけどよ」
『――おれが鳥だってんなら、翼でもなんでも、…バラバラにもいじまえ』

 聞こえない位の小声で、下を向いて呟いたので、パウリーは聞こえねえよ、と言った。
 優しいとは言えない仕草で、おれの髪を撫でる。
 そう言えば、ハットをこいつの家に忘れてきたんだな。
 ――それも、感情のせいか?
 おれに、あるはずのないもののせいなのだろうか。
 
 パウリーはおれの手を握って、歩き出した。
 引かれておれは、やつの後ろを歩く羽目になる。

 この手を、振りほどかなくていいのか。

 この感情、はなんだ?

 胸がギシギシと、錆びていくように痛む。










 冷めて伸びた食事を、目の前の男は笑いながら口に放り込んでいる。
 おれはそれを、見ている。
「やっぱ美味いなー、おいルッチ、お前も食え」
 目の前に差し出されたフォークに絡んでいるそれが、開けたおれの口に入っていく。
 カルボナーラにしなくて良かった。あれは冷めるとまずいからな。
 それにしても、チーズの味が強い。
「うまいか、うまいだろ〜?」
 だからそこでなんでお前が得意そうな顔をするんだ? 作ったのはおれだぞ。
 
 まるで、何もなかったかの様だ。
 もうすぐ、この夢は終わるというのに。
 
「…なあ、なんか喋れって…」
 上機嫌だったパウリーの声が、寂しそうな声色に変わった。
「…家、着いてから、一言も喋ってねーぞ、お前」

 受け止めてもらえる自信も無いくせに。
 おれはぼんやりと、こう思っていた。

 ――今ここでおれの全てを曝け出したら、こいつはどんな顔をするのだろう。

 この、温くて、温くてしょうがない夢が、覚めるだけだろう。

『――お前が話していれば、それでいいからな』
「…、な、なんだぁ、そりゃ」
『デザートもちゃんと食え。 おれは先に湯をもらう』
 水でも被れば、少しは冷静なおれに戻れるだろうか。
「、嘘吐きルッチ〜」
『なんだと?』
「待ってろよ。 ヤ・ク・ソ・ク・ド・オ・リ・おれも一緒に入る」
 にまーっとした馬鹿ッ面が、おれに向けられる。
『…、ああ…』
 おれは立ち上がったが、また椅子に腰掛けた。
 視線を机に落とし、またパウリーに向ける。
 空になっていく皿。こいつの口端についた赤いソース。

 血、みたいだな。

 瞬間、全身が総毛だった。
 …大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だ。

 おれはこいつを殺さない。その必要は今のところ無い。
 殺さなくて、いいんだから。

「ルッチ、手ぇ震えてっぞ」
『なんでもねェ』
「…お前、おれには何も話してくんねーのな」

 話したらお前は、突き放すだろう?
 それとも、同情の目でおれを見るか?
 お前はおれの生き方なんて、理解できないだろう。
 おれがお前の生き方を、理解できなかったように。

『ソース、が、……血に、見えたんだ。それだけだ』
「血が、怖いのか。そんなんいつも見てるだろ?」
『お前の、だから…』
「平気だ、怪我なんてしてねえって」

 パウリーはそう言うと、気がついたのか唇を腕で拭った。
「デザートは後でもらう」
 パウリーは、先程の様におれの手を引く。
 おれはまた、無言になって浴室へ向かうヤツの背を見つめていた。

 ――血が怖いだと?

 これは嘘か演技かはたまた真実なのか。
 おれは血を欲し続けていたじゃねえか。
 それが、この男のもんだって思ったら。
 怖くなったって、言うのか?

「ルッチ、逃げんじゃねえって」
『…、電気は消せ』
「わあってるつーの」
『…普通に、洗え』
「我が儘だなー。 せっかくいちゃいちゃできると思ったのによぅ」
『ハレンチだぞ』
「なっ…今更何言ってんだ、るっ…、? え…」

 気付くな。

「なあお前、どうした?」

 気付くなと言っている。

「おれ何かしちまったか? あ、謝る!」

 やめろ、やめろ…触るんじゃねえ。

「なんで、お前――」



 おれの心に触るんじゃ、ねえ。



「そんな、震えてんだ」
『――、うるせェんだよ、お前は』

 電気を消して暗くすれば。
 こんな水滴だらけの浴槽なら。
 こうしてシャワーのノズルを捻れば。

 ――おれが泣いている事など、気付かないだろう?

「どうしたんだよ?なあルッチ」
『さっさと、おれを――お前で洗え』


 パウリー、違うんだ。


 おれはただ、










 お前から聞いた。
 お前の恋人の『ロブ・ルッチ』と言う設定のキャラクターが。
 最後に聞いたお前の台詞は、よく聞こえなかった。

 お前に抱かれた。
 今まで一度も身体を許さなかった場所で。
 お前は多分今までで一番優しくおれを抱いた。
 水音にかき消されたせいで、――よく聞こえなかった。


 パウリー、お前何て言ったんだ?
 最後なんだ、おれが聞く最後のかけ合い台詞なんだ。
 いつもうるせえ声のくせに、なんでこんな時は、そんな小さな声を出すんだ。


 お前はその後黙って自分の肩におれの腕を乗せて、この四角い濡場を後にした。
 そうしていつもおれを組み伏せるベッドで。
 何も言わずおれを見つめてキスをした。
 唇に軽く一回、深く一回、…瞼に一回。

 そのままお前はおれを抱き寄せて、暫くすると安心したような寝息が耳を撫でた。

 窓から。

 月が、見える。

「なんだお前、…デザート、食うんじゃねえのか?」


 歪んで見える。
 まるで朧月夜だ。


 綺麗だ。 綺麗だぞ、パウリー。
 その青い瞳には敵わないが、少しだけ目を開けてみないか。

 なあ、パウリー。 今おれの頭の中では、まるで世間一般的によく言う、死ぬ前に見る走馬灯のように。
 お前との出会いから、今までの五年間が、くるくると巡っているんだ。

 お前、よく笑うなあ、よく怒るなあ、よく喋るなあ。
 お前、よくおれを、見て、触れて。 こんな風に、おれを抱いて眠ったな。

 再び熱くなった目頭を押さえるようして、おれはベッドを降りた。
 ぬけもりが、やけに早く身体から逃げてゆく。

 この感情の正体に、気付かなければ良かった、
 感情というものが自分に生まれる事など、なければ良かった、

「一度も、愛し合えなかった…、だが、それで、いい…」

 悔しいから、お前の一番愛する者をおれは殺すよ。

 きっと明日、笑って殺してしまうよ。

 けれどそれは、

 お前の恋人の『ロブ・ルッチ』と言う設定のキャラクターが、殺す訳じゃねえから。

 今お前の髪を撫でている、この『ロブ・ルッチ』の。

 最後の台詞を、さっきぼうっと考えていたんだ。
 こいつはどうやら、お前を愛しているらしいぞ。 しかも、さっきまでそれに気付いてなかったらしい。
 なんて愚かで、馬鹿なキャラクターだって、笑ってもいい。
 こいつはどうやら、お前の笑顔が一番好き、らしいから。
 その、幸せそうに笑った寝顔のまま、聞いてやってくれ。

 さっき、こいつがお前の腕の中で泣いた理由だそうだ。


『この、まま…夢が覚めなければいいと、思っただけだ…ッポー』


 少し、泣き声まじりの
 腹話術だが、いいよな?


 その方が、この陳腐な悲恋物の劇の最後らしいだろう?

 暖かい腕を抜けて冷たい床を静かに歩き、傷だらけの木製のドアを開ける。

 それに合わせて鳥の羽が数枚、幕の代わりに身に落ちる。

 肩に触れる鳥の感触。 瞳を閉じて、おれはもう振り返る事はない。



 BGMはお前の下手くそな、ミリオンセラーの女の曲だ。









 END