「成歩堂、いるか」 「あれ、御剣? …久しぶり」 薄暗いバーの端っこに置いてあるピアノの側にもたれかかりながら、にこにこと人の良さそうな顔をして振り返った男。 成歩堂龍一。33歳、客からはピアニートと揶揄される、元、奇跡を起こす伝説の弁護士。 現、私の想い人でもある。 「手紙がきたからな。今度はどんな案件だ?」 「そんなんじゃないよ。ただちょっと、顔をみたくなってさ」 「月1回は見せているだろう」 「足りないって。そんなんじゃ」 店の中であることも構わず、平気で私に抱きついてくる。この店の常連である私は、彼の浮気相手として、 皆に承認されている。…まったくもって、違うのだが。 「んー、御剣のにおい〜」 「……そんなに汗はかいていないぞ」 「そうじゃなくて、香水。 あー、落ち着く」 「…みぬきくんはどうした、元気か?」 「ああ、みぬきはまだ学校だよ。今日はそのまま、アルバイトさ」 「そうか。少しは休みをやれ。遊びたい年頃だろう」 「うん。わかってるんだけどね。自分からやりたいって聞かなくてさ。欲しいものでもあるんじゃない?」 「そうかもしれないな…。 キミも、休んでいないな。目の下にクマがあるぞ」 指をさして、揶揄してやる。 「うっそー、……ありがと。心配かけてごめん」 「かまわないさ。慣れている。…じゃあ、今夜はみぬきくんを連れて、3人で夕食でもどうだ」 「……おごり?」 「当然だ」 「たすかったぁ〜」 「情けない声を出すな」 「ん。…そういえば、明日はヒマなの、御剣?」 「ああ、3日休暇をとった。 どうした、やはり何か心配ごとが…」 「違うよ。…ねえ、デートしない?」 「デート…だと!? みぬきくんはどうするつもりだ、いいか、お前は父親であり、」 「うん、もちろん解ってる。ほら、明日は土曜だろ、次の日も休みだから、みぬきは友達の家にお泊まりだってさ。…一人寝はさみしくてね」 「……む、…ならば、いいだろう」 「なんかさあ、若い頃思い出さない?」 「33で枯れるな」 「ああ、失礼だなあ、ちゃんと満足、させるよ?」 「そういう意味では…、…まあ、期待はしないでおこう」 笑いあってこんな会話をしているが、まったくもって私たちは恋仲でもなんでもない。 …玉砕など、とっくの昔の話なのだ。 もう、忘れそうなほど、昔の。 それでも、私は彼を愛していて。どうしようもなく愛していて。 彼は、まったく私など眼中にないのに、冗談でいろんな口説き文句を投げつけてくる。 それがどんなに自分の胸を痛めたとしても、命の恩人であり、昔からの親友である彼の前から、姿を消すことはしない。 だから、彼がいくら、愛だの恋だのと、私に言っても。 私は、もう二度と、彼を愛しているとは、口に出さないと己に誓った。 彼からの信頼を裏切る真似は、二度としない。その代わりに。 …私は、成歩堂の側にいられるのだから。 「ね、御剣…」 「なんだろうか」 「ちょっと、外でない? みぬきが帰ってくるまで1時間はあるし」 「仕事…、は、まあ、まだ始まりそうもないな」 彼のピアノ目当てで来る客などいない。店は、がらがらだ。 「頼むよ」 「かまわないが…、目的はなんだ?」 「ついてくればわかるよ」 仕方なく、彼の言うとおりにすることにした。結局惚れた弱みなのだ。 ―― どうしても、彼に惹かれて、しまうのだ。 「…公園…だな」 「そ。ベンチあるから、はい、どーぞ」 缶コーヒーを渡される。冷たくて気持ちがいい。 「それで、用件はなんだ」 「好き」 「…わかったわかった。それで、用は何かと聞いているのだが」 「御剣ごめん。 好き」 「…………、バカをいうな」 「勝手なのは、わかってる。でも、好き、なんだ」 「…はあ…。 私の気持ちを知っていて、キミはまだ、これ以上揶揄うのか。…っいいかげんにしてくれ!」 「からかってなんかいないよ。…あの時は、みぬきと出会ったばかりで、金銭的にも精神的にも余裕はなかった。おまえの隣に並ぶ資格なんてなくて。 いや、…現に今もそうなんだけど、…それでも、御剣…」 「やめよう成歩堂。 きっと、私たちはこのままの関係がいいのだ。…すまない。私が昔、キミを好きだ、と言ったから…」 「…今は、ちがうの、御剣?」 ばかもの。 …好きに、決まってる。 どうしようもないくらいに。本当に。ばかみたいに。 キミ…でいっぱいなのだ、成歩堂。 「…っ…、愛している…」 「、変わるから。 もう、7年前のことに、気持ちの区切りはついた。いつまでも、こんなんじゃいられないし、…だからさ、…見ててくれないかな。 ――側にいてくれないかな。 一番、側に」 「で、も…みぬきくんにはなんと…」 「言ったよ」 「…言った?」 「知ってるって笑われて、いい加減に御剣さんを幸せにしてあげて、ってしかられたよ、…」 「…………、あ」 こんなタイミングで抱き寄せられたら、困る。 こんな、タイミングで。 …キス、なんか、するな。 「…御剣、…、…ずっと、…すき、だったよ」 「……わたしも、…だ…」 …なんだ、このままでは、 本当に明日は、デートになってしまうではないか。 デートの約束をした日のデート。 |