御剣が風邪を引いた。
ぼくの事務所に電話がかかってきたのが、夜の6時。
けっこう重度で、熱は39℃あるし、頭はがんがん痛むらしいし、ごはんだって、あまりのどを通らない、と言っていた。
一応ぼくは御剣の恋人だからね。そんな苦しそうな声を聞いたら、さっさと事務所を閉めるに決まっている。
そして、急いで自転車を飛ばしてきた、御剣のマンション。
慌てて鍵を開けたから、一度、合い鍵を床に落とした。
「ちゃんと寝ているといいんだけど…っ」
ばたばたと中へ入っていって、御剣の書斎のドアを開けはなった。

御剣は、風邪を引いた。それも重度の。
それなのに、今、目の前でデスクワークにいそしんでいるのは、御剣本人だ。
さすがに、堪忍袋の緒が切れるよ。
「御剣、なにしてんのおまえ」
「成歩堂、か…、なんだ、相変わらず、マナーのない男だ。ノックをしたまえ、と何度いったらわか…」
振り向いた顔は、もう、なんていうか、最悪の顔色。
「はい、いいから。手を止めて。寝室行ってベッドに横になって、なんか食べて、薬のんで、寝て。おとなしくしてて」
畳み掛けるようにいうと、御剣は、チチチ、と指を振った。
「ふ、…そうはいかないのだよ、成歩堂、明朝までにこれを仕上げなければいけない。」
そうかよ。
こーの、わからずや頑固や仕事の鬼!
つかつかと御剣の机まで歩いていって、ばん!と机をたたく。
「いいかげんにしろよ。体調管理もできてない奴の書類なんか、作成したって、依頼人に失礼だ」
「…キミも、言うようになったな。確かに一理あるが、今回は時間がないのだよ」

そうして、御剣は、また、熱で潤んだ目でパソコンへ向かっていく。
本当、どうしようもない、仕事人間なんだから。
少しだけ口調を甘くして、話しかけた。

「電話。ぼくにしてきたんだろ。それって苦しいから助けてくれってことじゃないのか」
「そのようなアレではない。なにかあったら電話しろ、と言われていたから…、だ、から…」
まあ、強がってはいるんだけど。
ほらみろ。ふらっふらじゃないか。
顔は真っ赤になってきたし、ぜえぜえと息は荒いし。
「御剣。本気で…怒るよ?」
御剣の顔すれすれまで自分の顔を寄せて、そう凄む。

「…なる、ほどう…、…くるしい…、」
ようやく少しだけ素直になったのか、弱気な台詞だ。
「それで、昨日は医者に行ったの?」
「…行っていない」
「じゃあ、ドラッグストアは?薬は飲んだんでしょ」
「…、行っていない」
「じゃあ…、…ごはんは」
「結局…たべ、られなかった…」
「いいから、今は仕事はやめて。」
「うム、…わかった…少しだけ、やめよう…」
「…しょうがないなあ。…ぼくが買ってきた薬、後でのんで」
「わか、った…飲む」
「ゼリーも買ってきたから、それなら食べられるでしょ?」
「…たべ、…られない…」
「えええ?」
「たべ、させて、くれ…」
「……ああ、そういう意味か、いいよ。 …よし、じゃあ、まず着替えよう。 寝室行くよ」

ぼくは御剣を立ち上がらせようとしたんだけど、まったく歩ける気配がない。
こりゃあ、背負ったほうが早いかな。
「御剣。おんぶしてあげるから、背中に寄りかかれる?」
「…すまないな、成歩堂」
「いいよ。こんな時くらい、遠慮するな」
「、…ああ、そうする…」

背中に重みがかかる。本当に体が熱い。熱、あがってるんじゃないのか?
ゆっくりと、御剣の体に負担がかからないように、立ち上がる。そうして寝室へ運んで、そっとベッドに寝かせた。
「…、な、…成歩堂、…水がほしい」
「うん。ちょっと待ってて」
「…はあ、はあ――…ふ…」
「なに笑ってんのさ」
「いや、…なんというか、よいものだな…恋人がいるというのは…。そう思っている自分が、可笑しくてな」
ベッドからぼくを見ている御剣は、うれしそうな顔をしている。まったく、風邪引いて苦しいやつの顔じゃないぞ。
ちゅ、と額に口づけた。
「早くなおして。恋人らしいこと、しよ?」
「…まったく、…キミは、そんなこと、ばかりだな…」
「…まったく、…おまえは、仕事ばっかりだよな」
「ム。…早く水をもってきたまえ」
「はいはい」

恋人になってちょうど一ヶ月。
恋人になって、はじめての、看病。




冷蔵庫からミネラルウォーターと、買ってきたゼリーを取り出す。
(えーと、熱がある時はみかんはだめだな、、吐くから。…桃なら、平気か?)
急いで飛び込んだドラッグストアで、手当たり次第風邪薬を買って、栄養ドリンクとゼリーと、みかんと桃の缶詰を買ってきた。
それからインスタントのおかゆと、解熱剤、ひえピタン。

「御剣。ほら、水」
コップについだ水を渡そうとすると、御剣は体を起こしてきた。
「…むう、ふしぶしが痛い。」
「そりゃあ、40℃近く熱があるんだから、当たり前だろ…、…飲める?」
一応聞くと、御剣は、顔を横にふった。
飲ませてくれってことだな。まあ、最初からそのつもりだったんだけど。
水を口に含んで、そっと御剣の唇に押し当てる。 顎を優しくつかんで上を向かせると、唇が開いた。
少しずつ、舌を使って飲ませていく。 こくん、こくん、と御剣の喉がなる。
「…、はあ……はあ…」
「苦しいだろ、ほら、…つうかなんでおまえ、もっと楽な格好してないんだよ」
「…し、仕事の時には、この服のほうが落ち着くし、はかどる、のだよ」
「……、あっそう。 じゃあ今は看病され中。ってことで、脱がすよ」
「、…自分で、できる、…」
「いいから、ちょっとおとなしくしてて、…ほら、なにもしないし」
「…本当か?」
「当たり前だろ、病人相手に盛るほど、ばかじゃない」
「…、そうか」

まあ、本当はばかなんだけど。 正直もう、熱でうるうるの瞳とか、はあはあ言ってるおまえを見てるだけで、襲いたくて、しょうがないんだけどね。
そんな事しないし、思っているなんて思われたくない。
まだまだつきあい始めのぼくらだし。さぐり合いばっかりだけど。
でもね、御剣。 
大事にしたいんだ。それだけは本当。
まだまだ、ひとつにもなってない、ぼくらだけど。
こうやってキスをするだけで。おまえが幸せそうな顔するから。
だからもう、なんでもよくなっちゃうんだよね。
―― 本当に、おまえに骨抜きなんだよ、ぼく。

「御剣。楽な服どこ?」
「クローゼットの、下側の、…引き出しに、…シルク製の…」
「…シルクかよ」

言われたものを取り出して、ついでにそばにあったタオルも取り出す。
「洗面所でタオル濡らしてくるから、脱げるのだけ、脱いでおいて」
「…りょ、…了解、した…」

本当つらそうだな。今日が祝日じゃなかったら、医者に駆け込むのに。
あいつは本当、無理しかしないような男だから。いくら体格はいいし、丈夫な方と言っても。
風邪は誰だってつらいものなんだからな。

ばしゃん、と水がはねた。
鏡を見る。

ぼくは。
あいつにとって、ちゃんと恋人になれてるのかな。
毎日、毎時間、毎分、毎秒、御剣を想う。

好きなのはぼくだけなんじゃないかって。
不安だった。

でも、おまえはつらい時に、ぼくに電話をくれたから。
それだけで。もう。

「大事にするに決まってるだろ。…何年越しの想いだと思ってるんだよ」

いくら会える時間が少なくても。いくら仕事の二の次のつき合いでも。
そんなの関係ない。
御剣に必要とされることが、ぼくにとってどれだけ幸せなことか。
…あいつは知らなくていいし。誰も知らなくていい。

にこ、と鏡で笑顔を作る。
うん、いい顔。ちゃんと作れている。
優しい恋人の顔。
それは作られたものだけど。




「……う…うう…」
「御剣っ?」
タオルと洗面器をもってドアを開けると、御剣がベッドの上で丸まっていた。
「なるほどう、…寒い…」
「ばか一気に全裸になるやつがあるかよっ!」
「…き、キミが脱いでおけと…言った、から」
「下着までとは言ってないしっ…ああもう、…ほら、シーツかぶって」
「…うム。遅かったではないか」
「……トイレだよトイレ」
「そうか…」

まったく、御剣はこれだから放っておけないんだよ。
そうっと、肩を抱いて、タオルで汗をふいていく。
「…んん」
「大丈夫? 水飲みたくなったら、いつでも言えよ」
「―― な、成歩堂、今夜、は…何時までいられるのだ…?」
「明日の朝7時まで」
「…、そうか」
「そう。だから遠慮なし。我がまま言いたい放題でいいから。…ね?」
「……成歩堂…、じゃあ、…す、少しだけ…甘え、たい…のだが」
「…甘えたいんだ。」
ちょっとだけ、どきっとしちゃったよ。 はじめてじゃない、御剣がそんな事言うの。

「こんな時くらいしか、できない、からな…」
こてん、と御剣はぼくに寄りかかってくる。 息がかかる。
「御剣…」
「…すき、だ…」
「っ…、うん」
「本当は、…寂しかった。…心細かった。…苦しいし、キミがいない。…だから、電話をかけた」
「うん」
「キミは慌てて電話を切って、たったの20分でここへ来た…、うれしかった、のだ…よ」

熱がある時は、あんまり体に触れると敏感になってるだろうけど。
そうっと、背中をなでた。
「うん、だって、ぼくはおまえの恋人だからね」
「そうだ、…な…、成歩堂…、…その、キスがしたい」
「いいよ、…御剣…」

優しく、ちゅ、と口を吸う。
御剣は、額と額をあわせてきた。

ああ。
なんだ、ぼくってちゃんと愛されている。

求められてる。
御剣。



「……なにもしないのではないのか」
「っは! …ごめん」

気がついたら普通に押し倒してた。
謝りながら、そっとまたタオルを持つ。

「冗談だ。 あやまらなくていいから、もっと触れていてくれ。…キミの手は、気持ちがいい」

これ以上、好きになったらきっと。
おまえを壊してしまいそうで、少しだけ怖いんだ。


「御剣、…熱あがっちゃうよ?」
「かまわない。今さらだ」




A cold medicine,