風邪を引いた。
あまり体は弱くないつもりで、きちんと鍛えてはあるのだが。
不意に誰かから、うつされたのだろう。
たったの1日で、これだけ体調が変わってしまうのだから。
病とは恐ろしいものだ。

ふと、携帯電話を手に取った。
履歴から、成歩堂龍一、という名前を探す。
今は、夕方の5時50分。
きっと、彼は書類と格闘しながら、マヨイくんにお茶でも入れてもらっている頃だろう。

熱が上がってきたのか、意識が朦朧とする。
昨日の夜半から調子を崩していたのだが、そのまま放っておいたら、見事に風邪を引いた。
先ほど計った体温計は、39℃と表示された。
こんなに熱が上がるのは、数年ぶりだな、と、少々驚きながら、その表示器を額の上で揺らす。
もしも、今、電話をかけたら。

(…成歩堂は、看病にきてくれるだろうか)

ふと、そんな風に思う。
仕事の邪魔はしたくない。成歩堂は弁護士として、忙しい身だ。そんなことは、わかってはいるのだが。
―― だが、私たちは、恋人でもある。
常日頃、何かあったらすぐに報告をしろ、とも言われている。

だから、電話をしても、いいだろうか。そこまで考えて、少し苦笑する。
ここまで、理由付けをしなければ、電話1本できない自分に。
本当は、
ただ、会いたいだけだ。触れたいだけだ。
そう素直に言えない自分は、本当に不器用な人間だ。

「…成歩堂…」

3コールだけして、でなかったら、あきらめよう。

そう思い直してボタンを押し、携帯電話を耳に当てる。

1コール目。

「もしもし御剣なあに? 大丈夫だよ、今日もぼくはおまえだけを、愛してる。」
「…っ」
(早すぎるだろう、それは、…)
くく、と笑ってしまう自分を押さえながら、受話器へ声を当てた。
「忙しいところ、すまないな…成歩堂。…その、困ったことになったのだよ」
「御剣…命をかけて、おまえを守るよ、ぼくは」

この恋人は、少々話しを飛躍させやすい。ふう、とため息を一度つく。
「いや、そこまでは言っていない…、その…、だな」
「うん、なんでも言って。なんでもする」
「ただ…風邪を引いただけなのだが」
「なんだって!? すぐいくよ!!! 病状は!?」

ああ、成歩堂。

「熱、が39℃、体が熱い。 頭も、くらくらする、食欲もなく…、」
「待っててっ! 絶対に30分以内に行くからっ!!」

カチャン、と通話は終わった。
「本当に、キミという男は…」

どれだけ、好きにさせれば、気が済むのだ?
あいたい、会いたい。早く、触れてほしい。
愛してるのは、私だ。私の方が、ずっと。

「成歩堂…、会いたい…早く、…来てくれ」

今夜中に仕事を終わらせればいい。そうしたら、成歩堂とゆっくりと話しができる。
書類作成くらいなら、大したワークじゃない。
私は、そのままパソコンへかじりついた。

ちゃりん、となにかを落とす音がした。
そう思って、数秒で部屋のドアが開いた。

「御剣、なにしてんのおまえ」

ぎくり、と体が硬直する。
成歩堂の声が低いのは、怒っている証拠だ。

「成歩堂、か…、なんだ、相変わらず、マナーのない男だ。ノックくらいしたまえ、と何度いったらわか…」
無意識にかわいげのない台詞がでてくる。
これは、私が動揺している時のものだ、と自分でもわかってはいるのだが。
さて、どうしようか。
会えた喜びを伝えるよりも、彼の怒りを沈めなければならない。
せっかく来てくれたのだ。怒った顔は見たくない。

そう思い、それからは彼の言うとおりに、なるべく、素直でいることにした。



彼と私は、総てをさらけ出したことがない。
それは、身体だけではなく、心も。だと、思っている。
互いに愛しているといいながら、キスをし、だが、気持ちを信じ合ってはいないのだ。

それを誤魔化す成歩堂と、気づかないふりをする私は。
とても、怖がりなのだと、思う。


「早くなおして。恋人らしいこと、しよ?」

恋人らしいこととは、なんだろうか。

「…まったく、…キミは、そんなこと、ばかりだな…」

本当はわかっている。だが、素直にうなづけない。

「…まったく、…おまえは、仕事ばっかりだよな」

その通りだ。そうして無意識のうちにキミを避けていたのかもしれない。






―― 戻れなくなりそうで。
愛しているからこそ、怖い。

恋人になってちょうど、一ヶ月経つ。

これ以上、好きになったらきっと。
関係を壊してしまいそうで、少しだけ怖いのだよ。



「御剣、…熱あがっちゃうよ?」
「かまわない。今さらだ」

手を伸ばす。
だが、その手はそっと握られただけだった。
そうして、成歩堂はタオルで体をふきはじめた。

どうせなら、奪ってしまえばいい。今なら抵抗もできない。

「成歩堂、すまない、な…こんなことをさせて」
「好きでやってるんだから、気にするなよ。ほら、腕、あげて。」
首筋、胸、腕、脇、背中、腹、太腿、足首、…全てを清めようと、丁寧にふいてくれる恋人の手は、あまりに気持ちがいい。
熱持った体に、冷えたタオル。

「はい、ここは自分でやって。いやでしょ?」
「どちら、でも、いい…」
「そう? じゃあ、ちょっとだけ拭くよ。」

成歩堂は私の性器に手をふれ、そっと拭いていく。
「、ん…」
「……、こっちも」
そのままタオルに包まれた指先が奥へ入っていく。
「あ、…っ…」

浅ましいな、私は。

「あのさ…御剣」
「なんだ、ろうか」
「よければ、処理するけど?」
「…、いや」
「これじゃあ、せっかく着替えても、汚しちゃうだろ?」
「しかし、」
「いいだろ。前に何度かしたことあるし。ゆっくりやるから」
「……。」
「はい、沈黙は了解ととるよ。」

恥ずかしい。だが、いやじゃない。 なぜなら、私たちは恋人であり、このような行為をしても、なんら問題はない関係だからだ。
そう、なれたのだから。

「あ、なる、歩堂…、っあ…」
「…うん、そのまま気持ちよくなってて。」
「は、…っはぁ…、は、…っあ」
「一回出せばすっきりするから。…体つらい?」
「、…ん、…つら、くない…成歩堂…、なる、ほど、う…」

優しい指が私を気持ちよくしてくれる。
成歩堂の、指だ。そう、思うだけで、すぐに達してしまいそうになる。
「御剣、…かわいいよ、もっと、声出して…」
「ん、あ、あっ…、ぁあっ」
「……はい、拭いてあげるね」
「、はあ、…はあ、…はあ、…成歩堂…。」

ベッドが揺れる。成歩堂が、口づけをくれた。
これが一番、気持ちがいいのだよ。
「じゃあ、体拭いたら、少し何か食べようね」
髪と額をなでられた。 うなづくと、キミが笑う。
「御剣の看病、楽しいよ。なんだか、新婚みたいだ」
「そ、そのようなアレでは…っ」
「おまえはいや? ぼくに看病されるの」
「これは、か、看病ではないではないか…っ」
言って、すぐに後悔する。
成歩堂の瞳が、少しだけ、陰りを見せたからだ。
違う。そんなことを言いたいんじゃない。
うれしかった。触れてほしかったのは、私の方だ。

「…、ごめん、ね」
「成歩堂…」
早く誤解をとかなくては。
「はい、おしまい。 服は着れる?」
「、…なる…、…ほ、どう…」

目頭が熱くなる。
謝りたい。どうして私は、彼に対して素直になれないのだろうか。
「御剣、泣かないで。…具合、つらいの?」
「う…、…」
こくん、とうなづくと、成歩堂は抱き寄せてくれた。
そうして、背中をゆっくりとなでてくれている。
「…御剣。ごめんね、もうしないから。」
うまく言葉がでてこない。頭が朦朧としているせいだ。
だから、成歩堂の服をぎゅっとつかむ。
「ん?みつるぎ…どうしたの」
「…、…」
のぞき込んできた成歩堂に、口を寄せる。
「水飲みたいの?」
「ああ、飲みたいのだよ。」
「うん、わかった。ちょっと待ってて」
成歩堂はそばにおいてあるペットボトルをもってくる。
「はい。もう、飲めるだろ?」
そのまま渡されたが、受け取らない。
「御剣?」
「…」
受け取らない。
察してほしい、と狡く思う。うまく言葉が出てこないのだよ。
なんと言えばいいのだろう。 なんと、伝えれば、いいのだろうか。
ただ、見つめることしか、できない。
「あー…もう、ほんと、おまえ、可愛いんだから」
しょうがないなあ、といいながら、水を口に含んだ成歩堂が、キスをしてくる。
「、ん…っ…っく…」
唇を舐められた。
成歩堂は、怒ってはいないだろうか。あきれては、いないだろうか。
嫌われるのが怖い。そう、思うのは、キミだけだ。

「…ばかに、なっちゃおうかなあ」

ぽつり、とキミがつぶやく。
どくん、と期待に胸が高鳴る。
首筋に、喉元に、舌が這っていく。

「ねえ、御剣…。おなか、すいた?」
「え、あ……すいた…かも、しれない…」
「じゃあ、ゼリー食べよう。今、もってくるから」
「…あ、ああ」
肩すかしを食らわされてしまった。と、思うのは、仕方がないだろう。
成歩堂は、
にこ、と笑った。
「御剣、服は着なくていいよ」
「…え」

「今はシーツ、かぶってて?」
「…、…りょうかい、した」


顔が、赤くなる。
期待しているのが、見え見えだろう。
成歩堂は、了解しちゃうんだ、といいながら、部屋をでていった。
体が熱いのは、熱のせいだけじゃない。
「…成歩堂…」

キミが好きだ。キミがほしい。そばにいてほしい。
私だけを見ていてほしい。ほかのことを考えてほしくない。
…私は。

風邪よりも、恋に患っている。



「はい、あーんして」
「うム…、…、っ…。 うまい」
「よかった。たくさんあるけど、あんまり無理して食べないで」
「ああ…、その、成歩堂、先ほどは失言だった。詫びよう」
「いいよ。御剣の天の邪鬼には、慣れてるし」
「、…そ、そうか…しかし、すまない。キミは、こんなにも甲斐甲斐しく看病をしてくれているのだから…、その、後日改めて礼をしよう」
「だから、ぼくら恋人だろ?」
「では、キミが風邪を引いた時には、飛んでこよう」
「いいよ。おまえは忙しい身なんだから。仕事優先して?」
「…そのような言い方を、するな。
わ、私にとっての一番は、キミだ、成歩堂」

成歩堂の、瞳が優しい。
ぼくもだよ、といいながら、そうっと肩を抱かれた。

「ねえ、御剣。薬飲まないとね」
「うム、いただこう」
「食後に薬、だよね。…でもさあ、エッチの前と後、どっちがいいんだろう?」
「…っ…、そ、それは」
「薬飲んだ後は安静にしてなきゃいけないから、やっぱり後、かなあ」
「必要ない」
「…あ。やっぱりそうだよね。 えへへ、やっぱりするのは、具合治ってから…」
へらり、と笑う恋人の腕を取る。

知らないだろう。
私はキミが、鏡で笑顔の練習をしていることを、知っているのだよ。


「私にとっては…キミが、薬なのだよ」

「…あー、もう。 勝てないなあ、御剣には」




Lovesickness.