合鍵 〜成歩堂龍一の回答。〜 (中編) 心臓が、止まるかと思ったのだ。 帰国して、5日目。それは半年ぶりのことだ。 一昨日届いた成歩堂からのメール。 文章は、『ねえ御剣、会いたい』 返信は、できなかった。忙しいのだと、理由を無理矢理、こじつけて。 心の中で、一度だけ返信をした。 私は、まだ、会う勇気がでない、のだよ。 いつもならば、真っ先に出向く事務所。 だが、今回ばかりは。 私は、キミには会いに行けない。 帰国したら、返事を聞くことになる。 私は、己が楽になりたくて、彼に突発的に告白をしたのかもしれない。 愛し合えるなどとは、一度たりとも思ったことは無い。 ただ、私だけが、狂おしく、ただ。 好きだ。 ああ、まだ、こんなにも。 自宅への道を急いでいた。駐車場から歩いて数分。 私はいつものように、エレベーターを避け、階段へ向かっていた。 そうして、そこで。 思いも寄らぬ、想定外の事態に、出くわしてしまったのだ。 「……な、成歩堂っ!?」 「…御剣」 口元がゆがむ。緊張で喉が、カラカラだ。 目の前に、いつもの青いスーツの、いつも同じ色のタイをつけた、 成歩堂龍一が、立っている。 そうして、こちらを見て、笑っている。 いつもの、へらっとした、目を閉じて、口を開けた、笑い方。 私の、好きな。 …、成歩堂龍一が、そこにいる。 半年ぶりだ。 ちっとも変わっていない。 「キミはなにをして…」 「…いや、メール送ったでしょ」 メール? 急いで携帯電話を取り出す、…真っ暗な画面だ。 「す、すまない、電池が切れてしまっていたのだよ。 く、くるならくると、…あ、…あの、だな、その…」 なにか言わなくてはならない、のだが。 頭の中が、真っ白だ。 そこに、成歩堂だけが存在している。 なんと言えばいい。よく、考えろ。 いや、今夜一晩考えて、もう少し整理がついたら、こちらから出向こうと思っていたのだ。本当だ。 成歩堂は、…なにを、しにきたのだろう。 「おかえり、御剣、お疲れさま」 私の安心できる、唯一の笑みを、彼は浮かべていた。 失いたくない。…できることならば。 私は愚かだ。自ら、告白をし、そのまま彼から離れようとしていたのに。そうすることで、長年の苦しみから解放されようと、そう思っていたのに。 こんなにも。まだ彼に。 …恋を、している。 「…あ、ああ、…家に寄っていきたまえ。……た、ただいま…」 「うん。じゃあ、ちょっとだけおじゃましようかな」 今、何時だっただろうか。 腕時計で確認する。…彼はもう帰らねばならない時間だろう。 だからこそ、階段下まで降りてきていたのだ。 しかし、口元が笑う。 私は、彼のようにポーカーフェイスが、できない。 側に、いてほしい。離れたくない。…側に、いると苦しくなる。…近づけない。 矛盾した気持ちが、胸の中で渦巻いている。 「…御剣」 「、な、なんだろうか」 「返事、しにきた」 どくん。 どくん。どくん。どくん。どくん。 不安の音色を奏でていく心臓。額から、流れ出る、汗。 そうだ。彼は。 彼は、…、きっと、ずっとそうしたかったのだろう。 私のつたない告白を聞き、…この半年間。それでも、親友でいてくれた。 …もう、それが、終わってしまうのだな。 「っ…、あ、…そう、だったのか。…その、…だな。め、迷惑なら本当に、…し、親友を、…やめても…」 声が上擦る。情けない。 イヤだ。苦しい。 彼の背中が、あまりにも、遠い。 階段を上っていく、その足が、重くなっていく。 …怖い。キミを失うことが、こんなにも。 私は、自らキミとの関係を、断ち切ろうと、していたのだから。 こんな、はずでは、なかった。 ドアの前で、気づく。 ドアノブにかかっている、ビニール袋。うっすらと字が透けている。 どうやら、彼は私と飲み明かそうとしていたらしい。 では、…このまま、終電を逃しても、いいと言うことだろうか。 「…すまんな」 「ううん」 そうして、鍵を、あけた。 「お邪魔します」 「ああ、はいりたまえ」 ドアが、しまった。 「御剣」 後ろから、声がかかる。 「…な、なんだろうか」 「帰国してから、ずっとぼくを避けてただろ」 核心を付かれた。 その通りだ、成歩堂。 「…いや、…その、久しぶりの帰国で、仕事が立て込んでいたのだよ」 「…ふうん」 誤魔化しなど、通用する相手ではない。 「っ…、…いや、3日目までは、そうだったのだが」 「じゃあ、あと2日は? 事務所にさえ顔、出さなかっただろ」 心臓が痛い。責められているわけでもない。嘘も通用しない。 どうすればいい。 …正直に、言えば、いいのか。 「………って、怖かった、のだよ」 そうだ、私は、ずっと、怖かった。 「…」 口に出して、ようやく自覚する。 「…勢いでした告白で…、キミを、悩ませて、…しまったと、後悔した。…わ、忘れてくれてもかまわない…」 寧ろ、忘れてほしい。 無かったことに、なればいい。 成歩堂の方に、振り向いた。 彼は、ドアに寄りかかったまま、こちらを静かに見ていた。 電気をつけていないから、成歩堂の表情は、わからなかった。 あきれて、いるんだろう。 こんな言葉を発するなんて、自分でもおかしいと思っている。 「悩んだよ」 ぽつりと、彼はそう言った。 「、そう、だろうな」 ようやく、それだけ言葉を返した。 「…御剣、ちょっと、こっちきて」 「……え」 罵るには、遠い距離なのだろうか。 成歩堂。 私は、キミの信頼を裏切って告白し。 そうして、挙げ句逃げたような男だ。 …そうされても、文句は言うまい。 「ぼくの腕の中にきて。 早くおまえを、抱きしめたい」 時間が、止まったのだと、思う。 もしくは、これは、空想の中、なのだろうか。 成歩堂は、少しだけ、笑っているように思えた。 困ったような笑い方だ。 「…っ…。」 嘘だ。 「返事、ききたいんでしょ」 手招きをされる。 「……、あ…」 引き寄せられる、だが、足が竦んで動かない。 成歩堂は、ただ、私を見ている。 待ってでも、いるように。 どれくらい時間がかかったのか、わからないが、なんとか、彼の側まで歩いていった。 そう遠い距離じゃない。しかし、…とても遠く感じた。 呼吸を、整える。 「…な、成歩堂…、その…」 「一生忘れないよ。だって御剣からの告白だ」 「っ…」 動揺する。 成歩堂は、私の頬に触れている、のだろう。そんな感触を左頬に感じる。 なんだ。落ち着け。 御剣怜侍。 今、…動揺して、どうする。 「御剣、もう一回、ぼくに告白してよ」 …っ!!! だめだ。 だめだ、期待するな。そんなはずがない。 何度も繰り返しただろう断られて、そうして去る自分を想像しただろう、泣くな、泣くな、泣くな。 「……ぁ……、その、キミが、好きだ…」 勝手に口がそう、言葉を紡いでいた。 何度も。何度も、心で思っていた言葉だ。 「うん」 成歩堂。 どうか。 「……返事を、聞きたい、のだよ…」 身体が、言うことを聞かない。 成歩堂は、私を抱き寄せて、髪にくちづけを落とした。 …成歩堂。 「ぼくも、御剣が好き」 「……っぅ…」 涙が、あふれた。 キミの顔が、みたい。 喉が、しゃくりあげる。 優しい声が、耳元に、何度も届く。 「すごーーく好き。ずっと、ずっと、好きだったよ。御剣」 嘘だ。嘘だ。 …真実のはずが、無い。 「……、ぅ…っく…」 声を出したいのに、確かめたいのに、ただ、嗚咽に飲まれて、なにも言えない。 「キスしてもいい?」 「っえ…」 ようやくそう声を出せた。 唇に、何かが当たる感触と。舌の感触が。繰り返された。 「…あ…」 成歩堂が、頬を舐めているのだろう、そのよう、だ。 …思考が、停止しそうになる。 「…ねえ、もっと、していい?」 「…、…ああ」 反射的にそう言い、頷く。 帰国して、5日目。それは半年ぶりのことだ。 一昨日届いた成歩堂からのメール。 文章は、『ねえ御剣、会いたい』 返信は、できなかった。忙しいのだと、理由を無理矢理、こじつけて。 心の中で、一度だけ返信をした。 私は、まだ、会う勇気がでない、のだよ。 いつもならば、真っ先に出向く事務所。 だが、今回ばかりは。 私は、キミには会いに行けない。 ―― キミは、私に、会いにきた。 成歩堂、それが、キミの、答えだと言うのだろうか? |