『背中。』




「私を縛れ、成歩堂」

なんて、恋人である御剣怜侍から誘われたら、さすがに温和なぼくも、ちょっとだけ、Sに目覚めそうになっちゃったよ。
まあ、天然恋愛下手な恋人の事だから、また何か勘違いをしちゃったんだろうなあ、と髪を撫でる。

「どうしたの、いきなり?」

「――その、だな、…キミ、の…背中を見てしまったのだよ」

「え?」

背中、って、最近ぼく見てないけど、どうかしたのかな。

丁度一緒にシャワーを浴びた所で、脱衣所にいるから、そこにある鏡で確認をしてみる。
振り向くと、

「…うわ」

「…す、すまない」

さすがに自分でも、引いちゃうかもしれないくらいに、
ぼくの背中は、引っかき傷だらけだった。ついでに肩は、噛み傷だらけ。

「…んー、いいよ。っていうかむしろ、こうさせてる原因、ぼくだし。…もしかして…へ、ヘタなのかな…」

痛かったり苦しかったりして、思いっきり爪を立てないと我慢できないとか。
それってショックかも。そりゃあ、ぼくなんて数えるほどしか恋愛経験もないし。
御剣とのセックスだって、女性とは、かってが違うわけだし、ね。ノーマルプレイしか、したことなかったし。

「いや、…その、そんなことは、ないのだよ…」

しゅうん、と落ち込んでしまった恋人の額に、キスをおくった。
「ほら、御剣らしくないよ。っていうか、ぼくが何度もおまえを求めるから、…なんだし」
「っ…ど、同意の上だ! そんな一方通行のような言い方をするなっ…、わ、私は、…その、」

もう、可愛いんだから。
いくらでも、ぼくなんて傷だらけにしちゃっていいのに。それで、御剣を抱けるなら、むしろ光栄ってカンジだし。
いや、これじゃあぼくが、Mみたいだな。それはちょっと、趣旨に反するから。
お望みなら、叶えてあげなきゃ、だって、恋人だもの。

「ほんと可愛いよ、御剣。…ねえ、じゃあ、…――」
こそ、っと耳打ちをする。

「縛ってあげようか?」
「…っ…」
まだ、バスタオル一枚の姿の恋人の、それすら、取ってしまう。
「ねえ、御剣…、縛ってほしいんでしょ…ほら、想像してみて?」
「…!!」

そうして、少しだけ上を向き始めた熱に、触れる。
それだけで、感度の高い御剣は、少し目を潤ませてる。
欲情しやすい身体。我慢の効かない身体。
そうしたのは、もちろんぼく。 気づかれないように仕向けて、こうやって。
「ねえ、ここも、――だよね?」
「っあ…? ち、違――、」
「いいよ遠慮しないで。…なんでも言って?」

ここはまだベッドルームですらないのに、御剣はぼくを、熱もった瞳で求めてる。
それが嬉しい。だってぼくを欲しがってるってことはさ。ぼくを、好きだってことだろ?
何度でも言ってほしい。何度でも、欲しがってほしい。
言葉にしてほしい。その、唇から、…紡がれる言葉が、何よりもぼくの、ほしいものだから。

ねえ、早く。――早くぼくを、欲しがって?

「…、あ…、……しい…」
「ん? なぁに?」

口元に耳を寄せて、聴く。
「――…キミ、が、…ほしい…成歩堂…」
「うん。 ぼくもだよ、おまえが欲しくて、たまらないんだ」

ちゅ、と唇にキスをして、力の入らなくなっている御剣を、肩に背負う。
「っ…あ、…」
「いっぱいしようね?」
「っ…、う、…うム…、」

こうやって、ぼくが求めた時に、うなづいてくれるようになるまで、三ヶ月かかった。

こうやって、

ぼくは少しずつ、彼を恋人にしたんだ。

―― 彼の自尊心を傷つけてはいけない。
―― 彼をなるべく、辱めては、いけない。
何度も、何度も何度も、繰り返して、一生懸命考えて、
何度も、何度も何度も、彼を試した。
そうしている自分への嫌悪感なんて、二、三度目には、プライドごとかなぐり捨てて。
だってぼくは、御剣の心だけじゃ、満足できない。
にこにこ笑って傍に、いて、そっと肩を抱いて話を聞いて、そのまま一緒のベッドに寝ているなんて。
それってなんてお飯事だろう、ちゃんちゃら可笑しいよ。
ぼくは駄目な男だから。優しい、本当の愛情なんて、彼には向けられない。

これが、たまに愛情なのかも、わからなくなるんだ。
でも、気づかないフリをしている。

そんなぼくの心のうちなんて、全然彼は気づかずに。

そうやって手を伸ばしてくれるんだ。
そうやってキスをしてくれるんだ。
そうやって、愛していると、言ってくれるんだ。

ああ、だからぼくは、彼の為ならばきっと、何も厭わずに、いられる。

だから、こんな身体傷だらけにしていいんだよ。
御剣、おまえのものなんだから。 全て。

「さあ、じゃあ、始めようか?」
「…あ、…ああ」

御剣の部屋で、御剣のベッドで、御剣の香りの中、
御剣怜侍を、――そっと寝かせる。

「いいものがあるんだよ」
「…?」
「メイちゃんにね、もらったんだ。 おまえの部屋に隠してある。 ちょっとだけ、待っててね」
「――成歩堂…、…っ!?」

そうっとベッドの下に隠したダンボールの中から、ひとつ、取り出して、彼に見せた。
どんな反応をするかな。
これは大丈夫なのかな。
嫌がったら、すぐにでもそれを戻そう。
…頭の中をぐるぐると、そんな考えばかりが巡る。
彼を試すことでしか、愛を確かめる手段を、ぼくは知らないから。
だから、動揺している御剣の瞳の中の真意を、見つけようと必死になっているんだよね。

ああ、なんて、滑稽なんだろう?

「それ、は…」
「おもちゃの手錠だよ?」

金属音を鳴らして、そっと、御剣の腹の上に乗せる。
「、冷たい、な…」
「まあ、そうだね。 縛るのは、これでいい?」
「――、…?」
「大丈夫だよ、タオルの上からだから、おまえの綺麗な肌を、傷つけたりなんかしない」
「、…いや、そのような…、しかし…、アレは――」
「…やっぱり、いや?」
「…、あまりに、アブノーマル、では、なかろうか…?」
「そう、……」

もう少し、かなあ。
どうだろう。どうかなあ。御剣、御剣は――、潔癖なところが、あるから。

「…、…しかし、し、縛れと言ったのは、私なのだよ…」
「――じゃあ、いいの?」
「――…、…す、少し、だけなら…かまわない」

口篭る時は、図星を突かれている時と、動揺している時と、嘘をつこうと悩んでいる時、それから。

「…御剣、大好き」
「っ…ん、…あ、…ぁあ…」

手枷は後回しにして、すぐに御剣の熱を口腔に入れる。どくどくと脈打つそれが、愛しくてたまらない。
おまえの全部は、ぼくのもの――なんて、思っているわけじゃない。
そこまで驕ってない。でも、今だけ、今だけは、御剣はぼくの恋人。
今の御剣の時間は、ぼくと一緒に、こうして愛し合うための時間なんだから。

ちゅく、と音を立てて吸って、べろりと大きく舐めあげて、先端を舌で突く。
それだけで、御剣は甘い声を出して、ぼくの髪を痛いくらいに掴んでくれる。
うれしい。――ああ、ぼくって、やっぱりサディストじゃなくて、マゾヒストなのかな?

だって彼にだったら、本当に、何をされたってかまいやしないんだ。

「…あ、あ、ふ、…ぅあ…っ…あ、…っあ、あ…ぁぁ…」

ああ、気持ちいいんだね。だんだん荒くなっていく息と、高音の混じった喘ぎだ。
きっともうすぐ、ぼくの口の中に欲望を弾けさせて、困ったような顔をして、目を反らしてしまうんだろう。

わかってる、いつものこと、だって、御剣は恥ずかしがりやだからね。
扇情的な自分なんて、認めたくないんだろう。
でも。 それでも、彼はぼくとの性行為を、拒絶しないから。
―― それは、ぼくを好きだからだって、思っていても、いいよね?

「、あ、あ、な、…っ成歩堂、…ん、んあ、あう、…っあ、…――や、…ぁめ、――ぁあああっっ!!」

「――っん、ぐ…、…っ――ん」

美味しい。御剣は、汗も唾液も涙も精液も、全部、全部。
御剣の味がする。御剣の、甘い香りと、苦い味が、する。

舌に残る、それを、御剣自身にまた、塗りつけて。
「…大丈夫?」
「――、あ、…は、…ぁ……、ああ、…もんだい、ない…」
「少し、横になってて」
「う、ム…」

座っていた姿勢から、そっと御剣を横たえて、でも、カチャカチャと音を立てて、手枷の鍵を開ける。
その音に、御剣の目は少しだけ見開かれて、でも、すぐに閉じられてしまう。
ちゃんと、わかってるんだよね。 何をされるかも。
―― 少しくらいは、えっちな期待をしてくれると、ぼくも助かるんだけど。
それはそこ、御剣怜侍だから。 いくら身体が淫らになっても、心はまるで、ずっと処女のままだ。

「御剣、…これで、――問題ないだろ?」
「、あ…――、…う、ウム、…し、しかし、なんだか妙な、心持ちに、なるものだな…」
「ドキドキしてるね、ほら、心臓」
そっと、胸の真ん中に手を置く。 跳ねちゃうんじゃないかってくらい、ドクドクいってる。
可愛いな、緊張してるんだろうな。 ―― ぼくの御剣は、本当に、可愛い。
そのまま、左右にある飾りを、そっと指の腹で撫でる。
「っ…、ぁ…」
「ここにも、何か欲しいなあ…」
「…え…」

もう、御剣の両手は、タオルでぐるぐるに巻かれているから、抵抗できないんだよね。
だから、ぼくが今から、メイちゃんご推薦の、淫らな道具を取り出しても、何もできないんだよね。

でもね、御剣ごめんね。

だって、おまえ、嫌がって、ないから。

―― だから、許してくれるだろ?







「あ、あう、…あ、…っ――成歩堂、…やめ、たまえ…」
「どうして、縛ってほしいって、言ったじゃないか」
「、それは、両手、だけ――っああ!!」


絶景って、こういうことを、きっと言うんだよね。

御剣怜侍が、御剣のシーツの上で、跳ねる。
両腕を縛られて、ついでに性器もゆるく拘束されて、それから、胸はシルク生地のワインレッドの長いリボンで、
背中からぐるぐると巻いて、窮屈そうに、挟まれている。
ぷくり、と尖ったそこが、あんまり可愛いから、甘く噛んであげる。
「、ひ、っあ――っ!!」

弱いよね、知ってるよ。

「、…御剣、気持ちいい?」
「…う、う…、ぁっ…、成歩堂、違う、私は、――き、キミを、傷つけたく、なかった、のだよ…」
「うん、ちゃんとわかってるよ。」
「、だか、ら…こんな、…ぁ、…っ」
「気持ちよくない? いたくないように、ゆるくしてるんだけど――」

そうっと、ぬるぬるとした体液でべとべとになった、リボンに触れて、引っ張る。
「!、あっ――、うう…」

うん、ごめんね御剣。ちゃんと、わかってるんだ。
気持ちいい、なんて言えないよね。 そんな辱め、受けたくないもんね。

頬を撫でて、キスをする。
「ねえ、御剣、背中が痛いんだ――」

ぼくの言葉に、びくん、と御剣は反応する。
閉じられた瞼が開いて、潤んだ瞳が、ぼくを映す。
「あ、…なるほどう、…すまない、…」
「痛い。…いたいよ…ねえ、痛い」
「っ…すまな、」
「おまえが舐めてくれたら、治るよ」
「、……、ほ、本当、だろうか」
「うん。どんな薬よりも、おまえの唾液の方が、いい」
「…、…う、うム…」
「ねえ、…お願い。」

ぼくは、御剣を掴んでいた手を外して、ベッドに横になった。
御剣の目の前には、ぼくの背中が晒されている。

戸惑ったような声と、小さなため息と。
それから、そうっと、生暖かい舌が、背に触れる。
それだけで、もう、いっちゃいそうになるよ、御剣。

はあ、はあ、と、息があたるのも、わかる。
両手を縛られた体勢のまま、性器を縛られた状態のまま、乳首を縛られたまま、
羞恥に顔を赤くした御剣が、べろべろと、ぼくの背中を舐めているんだ。

「、ん…、う…」
「っは、…なるほど、…う…、…痛む、…だろうか…」
「うん、…でも、ちょっとずつ、気持ちよくなってきたよ」
「、そ、…そう、か…――、うム、…」

ごめんね。
御剣。
ぼく、たまに自分が、自分でも、わからなくなるんだ。

涙が滲む。

ぼくは、最低だ。


―― こんな事までして、愛しい彼を。

信じられなくて、不安で、だから、…?
本当に、そうなのかな。 ちゃんと葛藤して考えたことがあったかな。
欲望をそのまま、生真面目で優しい御剣に押し付けて、
有無をも言わさずに、こうやって、試して試して、試して。

「…成歩堂、気持ちが、いいだろうか」
「……っ…うん」
「…ならば、よいのだ。 私だって、キミを、そうさせたい、と常々思っているのだよ」
「、…う…ん…」
「―― 少々、今夜はやりすぎ、だと…、思うが、…まあ、キミがそうしたいのなら、
…私は、かまわない。 …ん、…少し、窮屈だが、な…」

ふ、と、御剣がわらって、そっと、手錠のされた手で、指で、ぼくに触れる。
背中を、たどたどしくなぞって。
「――、御剣?」

「成歩堂、…愛している。 正面からでは言いにくいが、背に向かってならば、
言いやすいものだな」

くすくすと、幸せそうに、笑うから。 キスをするから。

心臓が、揺さぶられて。
どくどくと、跳ねて、泣きたくなって。




御剣。御剣、御剣。
ぼくも、ぼくもだよ。

「…、御剣、そっち、むいてもいい?」
「――ああ、…これでは、愛し合えないではないか」

「…っ、うん…」




きっと、神様は。
どうしようもないぼくだから、御剣に、出会わせて、くれたんだね。

きっと、御剣は、
どうしようもないぼくだから、

「御剣、すき、――…大好き…」

ぎゅう、と抱き寄せる。

「、うム…、わかっている」
「ほんと、…愛してる。…御剣は、御剣も、ぼくを好き? 愛してる? ぼくが、一番?」
「――まったく、…先ほどの台詞を無碍にするようなことを言うな…」
「だって、目を見て、聞きたいよ」
「…っ…、…しようのない、やつだ。 まずは、これを外したまえ」



どうしようもない、ぼくは。

御剣がいるから。


「…、成歩堂龍一、―― わたしは、…」




きっと、生きていけるんだ。