「ねえ、御剣」

「ム。なんだろうか」

「もしかして――御剣ってぼくのこと好きだったりしない?」



『フライデー・フライデー』



それを後悔しているかしていないか、と聞かれれば、ぼくはすぐに前者と答えるだろう。


「成歩堂…今度の日曜なのだが…予定はあいているだろうか?」
「うん」
「そうか。では10時に待ち合わせをしよう、どこがいいだろうか」
「どうせその時間まで検事局にいるんだろ?迎えに行くよ。自転車だけど」

言いながら、さらさらとした髪に触れて、そのまま御剣の白い肌を引き寄せる。
そうしてそのまま、髪にくちづける。そうすると御剣は、やめたまえ、なんて、言葉はいつも通り辛辣なんだけど、くすりと笑ったりして。
ああ。シャンプーのかおりがする。

ほんと、この状況にぼくは。
「成歩堂…、どうした?」
笑って、ぼくの首に手を回してくるはずは、ないはずで。
「…御剣、…」

こんな風に、一緒のベッドに眠って、
あろうことか、押し倒しても、首筋に痕をつけても、

「…っ、…なるほどう…」

怒るどころか、甘い声を聞けるなんて。

こんなの、きっと夢でしかない。


「…きっとすぐ、覚めちゃうんだろ?」

だからきっと、ぼくは前者のままなんだ。








それは、数時間前の出来事。
ぼくと御剣は、金曜の夜に矢張に呼び出されて、いつものように三人で飲んでいた。
片手にはビール、テーブルの上には焼き鳥と枝豆。 わいわいと賑わう居酒屋。
ぼくと矢張はともかく、赤いスーツを着た御剣には、不似合いな場所。
そして、数10分もしたら、矢張が女の子に呼び出されて出ていく。
もちろん伝票は置きっぱなし。
それも、いつものことだ。

「わりぃわりぃ、マリーンちゃんが呼んでんだよ、また今度なーっ」
「わかってるよ、またな」
「うム。…外人の方か?」

御剣のナイスなボケも、相変わらず。いつもの夜だった。
ほんとに、いつもの。 いつも通りの。金曜の夜だった。


ふらつく足下の先には、秋らしいすすきが転がってたりして。きっと子供が遊んで落としてっちゃったんだろうなあ、
なんて思いながら、御剣の背中を追いかけて歩いていく。

「成歩堂、飲み過ぎではないか?」
「んー、そおかなー」
「千鳥足になっている。危ないぞ」

振り向く横顔が、月夜に光って幻想的で、

「ねえ御剣、きれいだね」

「…ム? ああ、きれいな月夜だな」
「そうじゃないよ。おまえがきれいなんだよ」
「………成歩堂」

ぼくはそのまま、引き寄せられるようにして御剣に近づいていった。
御剣は動かない。
微動だにしないからだよ。
だから、簡単にこうやって、ほら、くちづけることができた。

「酔って、いるのだろう?」
「……んー。」
「……、成歩堂」

いくら真夜中2時の、車さえ走ってないような小道だからって、こうやってキスすることが許されるわけじゃない。
頭ではぼんやりとそんなことを考えてたんだけど。
なんだか、どこかのタガが外れたみたいに、そのまま何度も御剣を味わって、いた。

「…っ、…ふ、…なる、…っ、」
「…、……、御剣…」


我に返った時には、御剣を抱いていて。 そこが自分のマンションで、連れ込んで事にいたって、
あろうことか、真白い肌に点々と残る赤い痕と、下半身を滴りで濡らしたその姿が扇情的で。
我に返っていたはずのぼくは、もう一度彼を。
「…、ぁ、…成歩堂、…、待って、くれ…」
そんな制止の声がかからなければ、きっとそのまま行為を繰り返していただろう。
「……御剣…、」
「のどが、乾いたのだよ…、少しだけ、休ませてはくれないだろうか」
「…う、うん」

一番最初に思ったのは、どうしよう、だった。
心臓の音がやけに耳に強く響いて、額には汗がにじんだ。まあそれは、今し方までしていた行為のせいでもあるとは、思うんだけど。
御剣の上からどいて、そっと体を起こすと、すまんな、なんて言ってくる。
そうじゃないだろ、御剣。

「…成歩堂、キミは…」
「っ…」

どんな言葉が降ってきてもいいように覚悟していたのに、

「…キミはなにを飲む?」
「え…、あ、…み、水…」
「うム。わかったのだよ。待ちたまえ」

なのに、普段通りの御剣の声が、かわりに降りかかる。
そうじゃないだろ、御剣。
だって違うだろ、御剣。

「み…御剣…っ」
ミネラルウォーターのペットボトルを両手に持っている御剣を、抱き寄せる。

「成歩堂、…?」
「御剣…」

でも、なんて言っていいのか、わからない。
わからないんだ、御剣。

だってぼく、おまえが好きで好きで、好きすぎて。

だからずっと、親友でライバルで、いたのに。

「どうしたのだ?」
「……っ」

「これでは水が飲めないのだよ」
「…うん」

こんな形でそれを壊しちゃうなんて、絶対にあっちゃいけないことで。
酔った勢いでキスして抱くなんて、絶対にあっちゃいけないことで。

「…成歩堂…、」

そっと、御剣の顔をのぞき込む。
御剣は、いつも通りに眉間にちょっとだけ皺を刻んだ表情で、たぶんきっと、ぼくがなにを考えているのか、推察しているみたいだった。

「…御剣、ごめん、勝手にぼく、こんなことして…」
ようやく振り絞ったように、そう声を出せば、御剣は少しだけ笑った。

「バカモノ。」

口元だけで笑って、ちいさくキスをくれた。

「み、みつるぎ…???」
「酔いがさめたのか、成歩堂」
「…え、あ、うん、まあ」
「ならばいい。気にするな」
「……」

ああ。

そうか。

これは、酔った上での出来事で。


「…ほ、本当にごめん。」

差し出されたペットボトルを受け取る。
喉が潤されていくのと同時に、急速に熱は冷めていった。

「…成歩堂、どうした、しないのか?」
「え…」
「まあ、そうだろうな。冗談だ」
「………」
「…では私はシャワーを借りよう。」


そのまま御剣は、バスルームに消えていった。
気がついたらぼくは、水のはいったそれを机において、冷蔵庫の前にいた。中に入っているゴールドがかった缶の蓋をあけて、
一気に飲み干す。 そうしてまた、もう一本取り出した。
それを数回繰り返していると、うしろで声がする。

「成歩堂、…キミは何をして…、また、飲んだのか?」
「……、うん」
「…なにかあったのだろうか。私でよければ相談に乗るが…」

ぜんぜん酔ってなんかなくて。やけに冷静な頭で、御剣の行動理由を考えていた。
御剣は、酔ったぼくの相手をしただけだと思っているのかもしれない。
もしかしたら、御剣にとってそんなのは、日常の一部なのかもしれない。
そんなはずはないんだけど。恋愛っていう言葉から一番離れているようなところで生きている御剣だから。

でも、ぼくは結局、御剣の、御剣を、何にも知らないんだ。

御剣が今、いったい何を考えているのか、とか。

御剣はどうして、ぼくを受け入れてくれたんだろう、とか。

御剣は、ぼくを。
ああ、やっぱりちょっと、酔いが回ってきたのかもしれない。

御剣が心配そうな顔をして、ぼくの額に手を当ててくる。
それは頬にうつって、唇に少しだけ触れて。

「…うん。 頼むよ御剣」

御剣怜侍にキスをしたこと、御剣怜侍を手に入れたこと。
それを後悔しているかしていないか、と聞かれれば、ぼくはすぐに前者と答えるだろう。


「成歩堂…今度の日曜なのだが…予定はあいているだろうか?」

御剣は相談事に乗ろうと、こうやって約束を取り付けてくれる。

「うん」

「そうか。では10時に待ち合わせをしよう、どこがいいだろうか」

「どうせその時間まで検事局にいるんだろ?迎えに行くよ。自転車だけど」


言いながら、さらさらとした髪に触れて、そのまま御剣の白い肌を引き寄せる。
そうしてそのまま、髪にくちづける。そうすると御剣は、やめたまえ、なんて、言葉はいつも通り辛辣なんだけど、くすりと笑ったりして。
ああ。シャンプーのかおりがする。


ほんと、この状況にぼくは。


「成歩堂…、どうした?」

笑って、ぼくの首に手を回してくるはずは、ないはずで。

「…御剣、…」

こんな風に、一緒のベッドに眠って、
あろうことか、押し倒しても、首筋に痕をつけても、

「…っ、…なるほどう…」

怒るどころか、甘い声を聞けるなんて。

こんなの、きっと夢でしかない。


「…きっとすぐ、覚めちゃうんだろ?」


だからきっと、ぼくは前者のままなんだ。



でも。でも、御剣。




「ねえ、御剣」
「ム。なんだろうか」
「もしかして――御剣ってぼくのこと好きだったりしない?」


「…うム。 まあ、そういうことになるが」


それを御剣、おまえは簡単に後者に変えてしまう。


ああ。

―― なんだか空でも飛べそうだ。