『それは、いるのか、いらないのか。』



「御剣、今なんて言ったの?」

恋人になって、8年経った春先。彼はとんでもない言葉をぼくに投げかけてきた。
それは。

「うム…、いや、なんと言うかだな、…セックスなぞ、もう、いらないと思うのだよ」

「…ふぅん」

視線を外して、天井を見上げる。
ぐるぐると思考が回っていく。ついでに、目を回すくらいに部屋中を見回して、最後に、御剣怜侍に、視線を合わせた。
彼の表情を伺う。どんな顔をしてる? 
どんな顔で、そんな言葉を、吐いてるんだろうなあ。

なぁんだ、こっち、見てないじゃない。 それじゃあ、おまえの心理なんて、解らないじゃないか。

「ねえ、御剣。 もう少し、説明があっても、いいよね?」

「…キミは、その、私を好いてくれて、無論、私もそうだ。
私は、キミの笑顔を見れれば、そうしてたまに、一緒に笑い合えたら、―― 私はそれで満足だ。私は、それで、」
「別れようか、御剣」
「…っ…な」


「それって、親友の頃と変わらない。 君にとって、それが一番幸せな形だって、言うなら。
ぼくは、恋人であるおまえを放棄するよ。
それで、親友である君に、また会おうと思う。 もう一度、ね」

「…、ぁ…、成歩堂、私は、そうでは、なくて、だな…すまない、」
「何で、そんな悲しそうな顔をするの? キスもセックスも抱擁もいらないなんて、そんなの、ぼくにとっては、愛じゃない。」

「キミに、…とっては?」
「うん。究極の愛には、ほど遠いんだよ、ぼくら、はね」


御剣、こっちを見てよ。
そうじゃなきゃ、また、…おまえを奪うだけの、ぼくになってしまう。
ようやく、安心できたところなんだ。
ようやく、…おまえとの永遠を、信じられてきたところなのに。

そうやってたったの一言で、君はぼくを、…・。

「、…成歩堂、すまない…」

「いいよ。 …ねえ、御剣、ぼくが好き?」
「ああ、…もちろん、だ」

「それなら、…君から言って」
「愛している。…別れたくなど、ないのだよ」

「それなら…、君から抱きしめてよ」

おまえの背中は好きだけど。 やっぱりこっちを見てくれないと、寂しいんだよね。
だって、さあ。 そんなの、おまえが一番、わかっているはずじゃないか。
その背を、どれだけぼくが、見つめていたか。

「…これ、で、いいだろうか」
「それから、君から、キスをして」

「…っ…」
「いいでしょ?」

小さな、ただ、触れるだけのそれでさえ、ぼくは何度だって、初めての時のように、心が震えるのに。
やっぱり、君は違うのかなあ。

…ねえ、御剣、おまえは違うの?

「…そうしたら、ぼくが、おまえを抱いてあげるよ」

にっこりと微笑むと、触れた頬の近くある、その瞳から涙がこぼれた。
ああ、きれいだよ、御剣。 やっぱり、世界で一番、おまえが綺麗だ。


「…どうして泣くの?
欲しくないの? 全然、まったく? 触れたくもないの?
おまえの内に入れるのは――、ぼくだけ、なんだよ?
親友としても、恋人としても、ぼくが、…一番は、ぼくでなければいけないんだよ?」
「…――っ…、成歩堂、キミはっ…少々、」
「おかしくもなるよ、……、15年って、わかるだろ?」
「…っ……ぁ…」

首筋に、ひとつだけ、所有印。
白い肌にそれを残す時にだけ、ぼくは安堵する。

御剣。
御剣、どうして、君は、この気持ちをわかってくれないんだろう。

「何回抱いたってね、…終わらないんだよ、御剣…」

それだけ言って、離れた。

親友の頃になんて、戻る気なんて、更々ない。
手放せる訳がない。
一度、この腕の中に捕まえたのに。 どうしてそんな事が、できるだろう?

身についたポーカーフェイスさえ、彼の前では、すぐに崩れる。
情けない。 父親が聞いて呆れる。

ぼくの中は、やっぱり、御剣がほとんどの割合を占めているんだ。
それが、ぼくにとっての、幸せだから。

御剣のマンションに、こうして訪れた回数さえ、すぐに答えられるくらいだ。



「…成歩堂」

「……君は、一度ぼくを受け入れたよね。」

「、…ああ、そうだ」

「―― おまえを、くれたよね?」

何度も。何度も、飽くことなく、繰り返されてきた夜は、御剣を疲れさせてしまったのかもしれない。
帰国すれば、 仕事の合間に、ベッドで、ソファーで、それから、ぼくの上で。

…疲れちゃったのか。 そうか。

「……っ…、成歩堂、すまない、…もう二度と、こんな馬鹿げた事は言わない。
約束する。…だから、その目をこちらへ、向けないでくれ――…」

ねえ、御剣、ぼくは今、どんな目で、おまえを見ているの?

…やっぱり、…ダメだったのかなあ。


「何も映して、いないではないか――っ」

「………ごめん」

だって、ぼくがきっと、君の立場だったら、…とっくのとうに、逃げてる。拒絶してる、後悔してる。
そんなの、最初の一回のときに、説明したじゃないか。

「…ぼくは、面倒で厄介なヤツだよ、御剣」
「…っ!!!」

押し倒されたのは、初めてかもしれない。
なんかもう、どっちでもいいんだけどね。
御剣、君が、ぼくに触れてくれてるなら。 

「…おまえが好き。…御剣、…大好き」

言葉にするたびに、まるでそれに合わせるように、おまえが涙をこぼすから。

しょうがないね、ぼくらは。


「…それでも、受け入れたじゃないか。…ずるいよ御剣…」
「っ…成歩堂、…っ…成歩堂…」

「―― 抱かせてよ。…お願いだから」
「、…っ」




御剣にとっては、セックスなんて、ほんの、些細な行為なのかもしれない。 意味なんてなかったのかな。
なくなってしまっても、別段気にするものでもない。 そんなもの。

本当にね、それっているのかな。いらないのかな。
何度も考えたよ。 だって君がそれを望むなら。 おまえが、それを望んでいるのなら。

――御剣怜侍、が。


「――っ…わたしは、キミのすべてを望む――!!」

「…、うん、……久しぶりに聞いた」


それでいいんだよね? ぼくはキミを、おまえを、御剣を、信じていても、いいだろう?

御剣以外いらないんだから。
それは、自分でも畏怖する感情だ。

愛とそれは、本当に似ていて。たまに間違ってしまうんじゃないかって。

「…おまえを傷つけることは、できないんだよ。 …一回でも、無理やりしたかな、ぼくが」
「…していない」
「―― うん、だって、大事だから。 なによりも、御剣を失うことが、怖いんだよ。
…親友であるキミも。
恋人である、おまえも。

 ―― 御剣怜侍、を愛してる。 誰よりも、…永遠に」

「…そう、か。…それが、キミにとっての、愛の形なのだな」
「ものすごーーーく、重いっていう自覚はあるよ」
「…」
「御剣が、受け止めきれないって事も、…解ってるから。 全部じゃなくていいんだ。 総てじゃなくていい。 望んでくれなくてもいい。
 でもお願い。 御剣に、触れることだけは、許してよ。」
「――成歩堂。 キミは少々、勘違いをしているな。」

「…勘違い?」

「正直に告白しよう、…ほんの意趣返しのつもりだったのだよ。…その、昔の、な。
 ―― 今日は、何月何日だ?」

「…え」


カレンダーを見て、驚愕するぼくを、おまえが笑うから。


そのまま押し倒し返して、何度目かは、さすがに数え切れないキスをした。


来年も、再来年も、ぼくは嘘をつかない。

だから、御剣もそう約束をして、と。

そうしたら、おまえは困ったように笑って。

もう二度とキミを謀ったりはしない、と囁いた。



―― やっぱり、これは、いるよ。

…いるんだよ、ぼくらにはね、御剣。