またたびラバー。 6



小さな身体を抱いて、眠る。
何も聞かないし、御剣も何も言わない。ただ、小さく寝息をたてている。


「…軽い、なあ…」

どうしようかと思った。
さすがのぼくも、動揺しそうになった。
でも、御剣が、ぼくを、避けないでくれたから。なんとか、手に顔を摺り寄せてくれたから。
だから、ぼくは、その動揺を、なかったことにする。

今、ぼくの胸の上にはね。
小さくて、少しだけ灰色がかった猫が、眠っているんだ。

うん、本物の猫だよ。

聞かなくても、なんとなく、わかる。
ぼくだって、そこまで馬鹿じゃあない、つもりだし。

「怖かったよね。ごめんね御剣。そばにいなくて。おまえの、本当の不安に、気づけなくて」

人差し指だけで、小さな頭を撫でる。

本当はね、少しだけぼくも怖いよ。
もしも、このまま、御剣が、猫になっちゃったら、どうしよう。
原因もなにもわからない。ただ、御剣だけが、日常から消えたみたいに、なっちゃうのかな。
ぼくの目の前には、確かに、天才検事・御剣怜侍がいたのに。いるのに。

「、…、っ」

泣いちゃだめだ。そんな、弱い心でどうするんだ。
何よりも、御剣が一番、どうしようもなく、つらいのに。

「――、成歩堂。」

「あ、ごめ、起こしちゃった?」
「…、わたしを、捨てては、もらえないだろうか」

「…何、言ってるのか、よくわからないよ。御剣。そんなことできるわけ、」
「頼むのだよ。私は、自分の面倒をキミにみてもらうために、恋人になったわけではない。対等でありたいのだよ。」
「御剣…、いくらね、恋人のおまえの頼みでも、それは、絶対にきけない。ごめんね」

ぼくがそこまで言ったとき、ふいに、胸の上の御剣が、人間に戻った。…ただ、耳としっぽつきだけど。

「…あ」

「っ…こんな、不安定な状態で、…、これ、以上、キミを困らせるのが、いやなのだ。これ以上、迷惑を、これ以上、なさ、情けない姿をさらすのは――っ…」

「そんな御剣のくだらないプライドなんて、捨ててよ。それこそ、さっさと、投げ捨ててよ」

「な、…っ…愚弄する気か、成歩堂!!」

「するよ、そんなくっだらない意地なんかで、御剣がぼくから離れていくなんて、ぼくには耐えられないんだよ!! っバカだおまえは! こんな近くにいるのに、――
ぼくを頼れよ! ぼくの傍で泣いて、不安だって、怖いって、もっと、叫べよ!!」

ぎゅう、と強く抱きしめる。
ごめん。声を荒げてごめん。
でも。あんまり、おまえが悲しいことを、言うからさ。

「――好きだよ、御剣、大好きなんだよ、猫の姿とか、人とか、もう、…そんなの関係ないくらい、愛してるから――、ぼくのそばから離れたいなんて、そんな嘘、つくな」

思い上がりを言うよ。何度だって、いくらだって、伝えるよ。
押しに弱いのは、知っているから。それでおまえを手に入れているから。

「…っ…、成歩堂、…、すま、な…、わたしは、…っ…わた、私、は、…っ…う、…ぁ…」
「うん、大丈夫」
「もし、も、しゃべることすら、できなく、なった、ら、…と、…っ」
「うん、そんなこと、絶対、ないから」
「そのときに、きみに捨てられるくらいなら、にげ、逃げようと、…っ…いっそ、……だって、耐えられない、のだ、…むりだ、…もう、…わたしには、キミしか、」
「…、」

あのね、御剣。

ぼくはたまに思うんだ。

言葉だけじゃ、伝わらないものも、あるんだって。

この手に触れて。どうか、少しだけでいいから、わかってほしい。

ねえ、御剣。 どうしようもないくらい、おまえに恋した男は。 

ここに、いるんだって。




またたびラバー。 7



事務所の鍵を閉めた。 今日からしばらく、ぼくはここを開けるつもりは、ない。



「成歩堂、本当にいいのか、私は、やはり、キミにそこまでしてもらう程――…」
「大丈夫だよ。御剣と違って、ぼくの事務所は今、そんなに盛況じゃないんだから。」
「う…、うム。――すまない、成歩堂、本当に、感謝している」


御剣が猫の姿になってから、3日目。 彼は、自分の仕事をまったく休んでいない。
ただ、検事局に缶詰になって、書類とか、事務的な業務をこなしている。 外に出るような仕事や、法廷に立つことは、できないけれど。

そうして、ぼくは何をしているかって言うと。 御剣の護衛件、御助けマンみたいなことを、しているんだ。
彼に何かあった時にかばうために――、それだけしか居る意味はないんだけど。でも、やっぱり、独りになんて、させられない。
ぼくにとっては、弁護士の仕事は凄く大切で、生きがいなんだけど。でも、やっぱり、御剣とは、比べられない。
彼から、一瞬も、目を離すつもりはないし、でも、仕事の邪魔も、なるべくしない。

ただ、ソファーに座って、ゆったりと、御剣を見てる。 たまに、持ってきたノートパソコンで、自分の仕事もしながら、なんだけど。
きっと、依頼がきても、断ってしまうと思う。 弁護士失格だって、わかってる。でも。

ぼくにとっては、御剣の方が大事だ。
彼を失ってしまうくらいなら、弁護士をしている意義まで、揺らいでしまいそうになるから。

だから、そうっと、見守ってる。
相変わらず、ネコミミはついたままだし、しっぽもゆらゆらと揺れてるんだけど。
あれから一度も、完全な猫化はしていないから。悪化しているわけじゃ、ないみたいなんだよね。

本当に、原因は、なんなんだろう。
インターネット検索をしても、もちろん、そんなの載ってないし。まあ、オカルトサイトは回りきっては、いないんだけど。

学生時代の演劇仲間に、そっち方面に強い友人がいるから、一応、メールは送っておいた。もちろん名前は伏せてるし、こんなこと、ありえるのかな?っていう、疑問という形でだけど。
返信は、まだ、きてない。

「…御剣、紅茶、入れようか。 さっきからもう2時間はパソコンとにらめっこしてるだろ? 少し休みなよ」
「ああ、…わかっている…、うム…」

本当、仕事の鬼なんだから。こんな時くらい、休めばいいのに。
しょうがないなあ、集中してるし。

そうしてもう30分した時、そうっと、イスに座っている御剣の肩に触れた。
「成歩堂、…どうした」
「ねえ、キスしてもいいかな?」
「…――な、…にを言って、ここは、け、検事局だぞ…っ」
「でも、ここには、防犯カメラ、ないよね?」
「いや、しかし、一度、つけられていたこともあるのだよ…」
「っていうか、もし、今ついてたら、おまえのその様子を見て、誰かしら駆けつけてるはずだろ?」

にやっと笑って、髪にキスをする。
「ねえ、御剣、したい」
「…っ…キミは、…まったく…、し、仕方のない男だ…、あと…、4時間くらいで、今日の業務は終われそ…っ!?」
「そんなに待てるわけないだろ、おあずけしないでよ」

ほんと、こんな事でもなければ、検事局でおまえにキスなんて、できなかったかもね。
不謹慎なことを耳元で囁くと、御剣は、バカモノ、と小さく呟いた。

「不安なんだろ。だから、仕事でそれを、忘れようと、してるんだろ」
「…、本当に――、キミには、隠し事が、できないのだな…」

ちいさく、御剣はため息をつくと、パタン、とノートパソコンを閉じた。

「御剣?」

「たまには、チェスでもしないか? 成歩堂」

「仕事はいいの、御剣検事?」

「―― 本当は、1時間前に、今日の業務は、終わっているのだよ」

「…ほんと、御剣だなあ」

「いいから、そこに座りたまえ」


ぼくが、ここにいる一番の理由は。
御剣が、倒れないように、無理をしすぎないように、
見守るため、なんだよね。

御剣は、ゲームのコマを、ただ、じいっと見つめていた。

「…まるで、私の人生も、ゲームのようだな」

あんまり、あきらめたような声で言うから。

「育成ゲームは、得意なんだよ、ぼく」

嘘をついて、そのまま、寂しそうな猫を、抱き寄せた。




またたびラバー。 8



御剣が猫になってから、5日目の夜。 彼は、相変わらず寝苦しい夜を、過ごしている。
もともと、安眠なんて言葉からはかけ離れた生活をしている御剣だけど。今回は、本当に、ブラックアウトさせて無理やり寝かしつけるしか、方法が見つからない。

聞かなくたって、わかる。眠るのが、こわいんだろう。
もしも、起きたときに、猫の姿だったら? 戻れなくなっていたら? そう、考えるだけで、眠れないに違いない。
だけど、ぼくはそんな心配をしていることなんて、気づかせるわけにはいかない。ただでさえ、この状況が、ぼくにとって迷惑だと考えているだろうから。

だから、前と変わらないように、ぼくは彼をベッドに誘う。
まるで、この状況を、楽しんでいるかのように、演技をする。


「ねえ、御剣。そろそろ、寝ようよ」
「…ああ、…その、…したいのか、こ、今夜も…」
「うん。当たり前じゃない、御剣明日もデスクワークでしょ?」
「…いや、しかし…だな、キミは、疲れないのか?」
「ぜんぜん、むしろ男って、疲れるとやりたくなる生き物でしょ?」
「……う、うム」
「御剣、エッチしたくないの? …もしかして、眠い?」

それなら、それでいいんだけど。少しは安心できてるって、ことだから。
御剣は、ベッドの上で手招きをしているぼくに、少しだけ困ったように、笑った。

「……気を、つかわせて、いるだろう」
「――また、そう言うこというかな。…、ねえ、御剣、こっち来てよ。 ほら、おいで」

ぼくの催促の声に、御剣は、ゆったりと歩いてきた。
ネコミミは下がっているから、きっと、へこんでるんだろう。 感情がわかりやすいのは、いいんだけど、ね。

でも、本当に早く、なんとかしなくちゃって、思う、
御剣は、また、少しだけ痩せたから。

「あー、御剣のにおいだ…」
「…まったく、私が猫ならば、キミは犬だな」

御剣は、笑って、キスをしてくれた。
ほんと、いっそ二人でわんにゃんしてれば、御剣もこんなに気に病まなくて、すむのかもしれない。

「ねえ、御剣。知り合いからね、メールの返信がきたよ」
「…なんだ、と、言っていたのだ?」
「灯台元暗しだった。 ――霊媒、っていうか、除霊に近いかな。―― つまりは、真宵ちゃんの力を、借りてみたらどうかって、いうんだ」

「……成歩堂。」
「どうなるかは、わからないけど。 御剣、怖いと思うけど。ぼくらを信じて、任せてくれないかな」
「―― ああ。 ……キミを、…いや、真宵くんも、……頼りにしている」
「うん」
「…ならば、明日の仕事はキャンセルしよう。」
「うん」
「……、今夜は、キャンセルするか?」
「ううん、しない」

ふは、と、御剣が、珍しく声を上げて笑った。
久しぶりだな、こんな笑顔。

御剣。御剣、愛してる。

おまえが気に病まないなら、ぼくは本当に、どんな姿だって、御剣を愛する自信がある。

それくらい夢中なんだよ。

だから、そうやって笑っててよ。

「大好きだよ、御剣。 もう、我慢できない」

いつもの夜と変わらず、おまえに伸し掛かって、キスをして。舐めて、愛そう。

おまえの不安が、飛んでいけばいいのに。

「…成歩堂。私も、……できそうに、ないのだよ」


だから、今夜も。どうか夢の中くらいは、幸せでいてよ。





またたびラバー。 9



そりゃあ、びっくりするよね。これが普通の反応だよね。
御剣は、ただ、黙って、事務所のソファーに座ってる。

「わきゃああああっ!? な、なるほどくん!み、みつるぎけんじが!! 写真撮った!? ホームビデオは!?」
「…真宵ちゃん、御剣は見世物パンダじゃないよ」
「……いや、かまわない。もう、慣れたのだよ。いくらでも撮りたまえ。金にはなりそうだ」
「じょ、冗談でも言うなよ、そーゆーこと。」

昨日のうちに、真宵ちゃんには連絡を入れておいた。あんまり驚かせるつもりはなかったんだけど、とりあえず御剣とぼくの愛の為に来てくれないかな、って言ったら、
すぐに電話は切られて、今に至るわけ、なんだけど。
あ、真宵ちゃんと冥ちゃんは、ぼくらの関係を知ってる。…っていうか、応援してるらしいよ。…まあ、される前から、付き合ってるんだけどさ。

「ううーん…」
さっきまでのテンションはどうしたのか、真宵ちゃんは、真剣な顔をしてる。

「どう? こーゆー例ってみたことある? っていうか、霊媒関係なのかな?」
「はじめてみたよ。 動物霊が人に入るのは、珍しくないんだけど、ここまでハッキリ、耳…とか、しっぽとか、出てるのは…資料でしか見たことないから」
「…し、資料には、あるんだ…」
「うん。 今度見せてあげるね。狐と猫が、多いよ。」
「え、遠慮しとくよ…なんか怖いし…」

情けないなあ、なんて言われるけど、しょうがないじゃないか。実体のないもの、なんて、真宵ちゃんや、千尋さんと出会わなかったら、信じてなかったくらいだし。

「解決策は、ありそう?」
「…うん、でも、ここじゃあなあ、とりあえずお姉ちゃんに聞いてみるよ! …それに、必要なものもあるし。 なるほどくん、耳かして」
「うん、………、え、またたび?」
「そう。 買ってきて。束でよろしく!」
「待って。 なんで?」
「ものは試しに、とかで言ってるんじゃないよ。 とにかく行ってくる! みつるぎけんじとの禁断の愛の為だよっ! なるほどくんっ!!」
「…わ、わかったよ。 じゃあ、御剣、ちょっとぼく出てくるから、真宵ちゃんと遊んでて」
「ああ、すまないな、成歩堂」
「…大好きだよ」
「…、や、やめたまえ真宵くんがいるのだぞ!」
「大丈夫だよ、目がハートになってるもん。」
「…そ、そのようだ」




ぼくは、事務所を後にした。

またたび、ねえ。
一体何に、使うんだろ? 

って、そりゃ、霊媒…じゃなくて、…除霊に、だろうけど。
まあ、猫だし。またたびは効果あるのかも…、

あれ?
ぽたぽたと、頬から、涙が流れた。
なんで。あれ?

…あ、そうか。ぼく、ほっとしてるんだ。
気づかなかった。 いままで、ずっと、自分が気を張っていたこと。
ぜんぜん、まったく、彼を助ける方法は、ずっとわからなかったから。
ぼくは、気を緩めることだけは、できなかったんだ。

そっか。


「…よかったね、御剣…、やっと、おまえを、…苦しめなくて、いいんだ、ね…」

ぐい、と腕で涙をぬぐう。
まだ、どうなるかはわからないし、きっと、これから御剣は、苦しい思いをしなきゃいけないかもしれない。
でも、さっきの御剣は、ちっとも、恐怖をしていなかった。
始終安心した顔で、ぼくらの会話を笑顔で見ていたから。
信じられてるんだって。思う。
ぼくの力なんて、微力なものだけど。 最高級のまたたびを、買ってこようじゃないか!

「待ってろよ、御剣!!」

絶対に、おまえは、ぼくが、助けるからなっ!!




またたびラバー。 10



「おまたせ。 買ってきたよ」
ぼくは、真宵ちゃんに大量のまたたびの入った袋を差し出したんだけど、部屋の中に、猫がいない。
どこ行ったんだろ。だって、ぼくがホームセンターにあるペットショップから帰ってくるまで、30分もかかってないぞ。

「ねえ、御剣は?」
「なるほどくんのマンションだよ」
「…ええ?? な、なんで、だって、除霊するんでしょ? 真宵ちゃん、もしくは千尋さんあたりが――」
「違うよ。」
「ちがうのっ!? え、もしかして…、難しいことだから、霊媒の本堂みたいなトコに、連れていかなくちゃいけないとか…?」
「……なるほどくん、すごーく、言いにくいんだけど。これ、おねえちゃんからの手紙だから。読んでおいてね。 それから、携帯の電池はまんたんにしといてね! 
もしもの時は、真宵ちゃんは、いつでもスタンバイオッケーだよっ」

真宵ちゃんが、一枚の封筒を差し出してきた。多分、これが千尋さんからの手紙だ。
中を開けて目を通して、その内容に、愕然とする。
「ままま、真宵…ちゃん、これって」
「ってわけで、いっちょやるよ! なるほどくん!!」
「―― これキミ読んだのかよ…」
「17歳の乙女と言えども、これでもプロの霊媒師だよ。 …あ、あと、みつるぎけんじには、何も言ってないから、明日から始めるとかなんとか言って誤魔化したから、よろしく!」
「それは、ありがたいけど…、その…、最中になんかあったら、真宵ちゃん、くるのかよ…?」
「…おねえちゃんでも、だめ?」
「―― 千尋さんにしといて。せめて。」
「うん、わかった、……、なるほどくん。 …あのね、みつるぎけんじ、元気なかったから、早く行ってあげて」
「…そうだね。 ごめん。ぼくが覚悟決めないで、どうするんだって話だ。 ありがとう真宵ちゃん、キミと、千尋さんのお陰で、御剣を救えるかもしれない」
「―― 当たり前でしょ、私はここの、副所長だし、なんと言っても、なるほどくんと、みつるぎけんじの為だもん」

真宵ちゃんにもう一度、お礼を言う。
彼女はいつも、笑ってる。 それがどれだけ、ぼくと御剣にとって有難いことか、知らないで。

「なるほどくん! 私やおねえちゃんじゃなくて、みつるぎけんじの為にがんばるのは、なるほどくんだよ!」

「―― うん、解ってる。 がんばるよ」

「「なるほどくんと、みつるぎけんじの、禁断の愛の為に、ね」」

同時に言って、やっぱりぼくらは、笑ったんだ。





空が青い。雲は白い。そうして、太陽が眩しい。


マンションのドアの前に立って、深呼吸を、一回。

弁護側、準備、完了しています――。


自分の家だけど、インターフォンを、鳴らす。



御剣。


どんなおまえでも、ぼくは愛してるってこと。
伝えられるかもしれない。