―― きれいな、空だね。 『屋上。』 SIDE:御剣 あまりにもあっけない終わり方だった。 私にとっての彼は、甘く、ただ甘い恋人だった。 キスをし、ハグをし、毎日のように電話をし、そうして、一緒に眠る。 私にとっての彼は、苦く、ただ苦い恋人だった。 喧嘩をし、拒絶をし、毎日のように罵り合って、そうして、背中合わせに座る。 矛盾した関係に眉を顰めながらも、互いを求め、確かめ合う。 「成歩堂、空が青いな」 「そうかな、ぼくには赤く見えるよ」 交じり合ったそれを指差し、笑ったキミを、懐かしく思う。 私達の関係は、あまりに刹那だったのだ。 キミからの告白もなく、無論、私にはそんな言葉など、持ち合わせては、いなかった。 ほんの、数ヶ月の間。親友と恋人の間を、歩き回る関係だった。 ほんの、数ヶ月の間。私は彼を欲し、彼も、私を求める関係だった。 同じ名を、今はうまく呼べない。 「…もしもし、御剣、明日、ヒマかな?」 「ああ。特に予定はないが、どうしたのだ」 「うん。ちょっと、空を見てたらさ。おまえに会いたくなったんだ。」 たまに、彼は、私の思考を、惑わせる。 「……、もう、どれくらい経つか」 「1年と、半月くらいじゃないかな」 「そうか。―― しかし、ふたりで会うのは、」 「ねえ、御剣。…おまえはぼくを、嫌いかな」 「…だったら、相棒であるキミは、どうして私に変わらず電話をしているのだ?」 だから私も、少々意地の悪い言い方をするのだ。 すまない。 あの、数ヶ月の関係に、耐えられなくなったのは、私だ。 驚きに目を見開いて、困ったように笑ったキミの、作りそこなった笑顔を、 恐らく、私は生涯、忘れることは、できないだろう。 「―― 御剣、だいすきだよ」 繰り返される告白。 受け止めることは、できなかった。 別れてから、言うのは、卑怯だとは、思わないか。 どうして、いまさら、そんな事を言うのだろう。 私からの答えが、ないことなど、わかりきっているはずだ。 20を超えた告白に、――。 明日ならば、答えられるかも、しれないな。 「…午前中は、予定がある。」 「え、さっきないって…」 「思い出したのだよ。大丈夫だ、安心したまえ、逃げ出しはしない」 「…う、うん。 いいんだけどさ、…ありがと御剣。 いつも、無理やりでごめんね」 そんなことはない、と言う前に、電話は切られた。 溜息をつく。視界の外れに、彼からもらった思い出の品が、光っていた。 手にとり、眺める。 「――、な、る…、う…」 どうしても、喉に引っかかってしまう。 親友の、幼馴染の、相棒の、元、恋人の、名だ。 なにが、無理やりだ。 一度たりとも、私を抱かなかった男が、よくも言えたものだ。 ただ、髪をなでキスをするだけだったキミが。 三月の間、キミは、私をただ、文字通り、抱きしめて眠るだけだったのだ。 その理由も聞けるはずもなく、 持て余した欲望をひとり処理した夜を、ふと、思い出す。 それは愛だったのか、 。 それは恋だったのか、 。 今、もしもキミの告白を受けいれたら。 今度は本当に、恋人と名のつくそれに。 そんな、関係に、なれるのだろうか。 「…好きだ」 そう言えなかった私は卑怯だった。 だが、今、離れてから、繰り返すキミは。 もっと、卑怯ではないか。 胸のあたりが痛む。心が、鬻いでいく。 「――…っ…わたし、は…――」 青と赤の交じり合う空を、キミと観た、 ぼんやりと眺めたあの、屋上からの景色が。 脳裏から離れず、苦しいのだよ。 SIDE:成歩堂 携帯のメールで、待ち合わせ場所と時間を、彼に届ける。 たまに指が震えて、文字を間違ってしまったりして。 その度に、どれだけ自分が、彼を失いたくないのか、嫌われたくないのかがわかって。 ぼくは苦笑する。 ぼくは、愚かな自分が、大嫌いだ。 「ほんと、未練がましいよなあ」 くく、と自嘲気味に笑って、窓の外から、空色を伺う。 ごめんね御剣、またぼくは嘘を吐いたよ。 あの時一緒に見た景色みたいに、青も赤もない。 ただ、真っ黒に染まりかけてる、空。 きっとおまえは気づいていただろうな。それでも、何も言わずぼくの声を聞いてくれた。 ごめんね。 ごめん。 本当に、ごめん。 何度謝ったって、おまえにはもう届かない。 『…もう、限界だ』 そう呟いてキスを拒絶した夜に、ぼくらの名前のついてない関係は、終わった。 ぼくが悪い。 一度も彼を好きだと、伝えなかった。 卑怯だ。いつでも戻れるように、ぼくは告白をしなかった。 あの日。 交じり合った空を、一緒に見た後の夜だったね。 おまえが、どんな風にぼくを思っているのか、聞くこともしないで。 ぼくは知っていたのに。 おまえが、どんな人間か、知っていたのに。 ぼくが、告白をして、押し倒して、奪って、それくらいが丁度いい。 そんな事、解り切ってたのに。 おまえからの告白を望んだ。 そうしたら、いやがったって、最後まで愛し合うつもりだった。 でも。 そんなの、おまえにできっこないのに。 ぼくはあんまりにも熱に浮かされていて、そんな事すら、気づけなかった。 「好きだよ。」 2週間一回くらいのペースで、ぼくは御剣に告白をし続けた。 最初、戸惑いを隠せない声が聞こえたけど、すぐに冷静な検事の声が聞こえた。 ―― 私は、キミからの告白を、受け入れられない。 それだけ言われたのに、ぼくは馬鹿みたいに、告白を続けた。 挨拶がわりだと思ってよ、なんて、自虐的に言いながら。 でも、御剣は、一度も電話を自分から、切らないんだ。 それが、どれだけぼくを安堵させているか、おまえは、わかるかな。 涙が出そうになるんだ。 怖くて、失えなくて。 御剣怜侍。御剣、御剣、…愛してる。 おまえが、ぼくの名前を呼ばなくなったのも、気づいてるんだ。 SIDE:御剣 待ち合わせ時間から、2分後。彼が駆ける姿を、視界に捉える。 相変わらず、時間にルーズなやつだ。 緩みそうになる頬を叱咤し、一度だけ手を振る。 「御剣、ごめん、待った!?」 「ああ。私は10分前には、来ている主義だ。キミも、知っているだろう?」 ニヤリと笑う。そうだ、私は怒ってなどいない。 それ相応の覚悟で、来たのだから。 まあ、焦らずとも時間はゆっくりある。だから、こうして余裕を持って――。 「…き、キミは何をしている!?」 「え、手をつないだんだけど」 「そうではない! バカモノ離したまえ!!」 「なんで」 「…それは、私たちは、もう――」 「ねえ、御剣。 確かにぼくらは、一度間違ったと思う。少なくとも、おまえはそう思ってるよね。」 「、いや、間違い、だとは――」 「後悔してるでしょ、三ヶ月間の、ぼくらの関係をさ」 「…、していない、と言えば、嘘になるだろうな…」 ゆったりとした歩調で、キミは歩き出す。 手は、ゆるく繋いでいるから、いつでも振り払えるだろう。 だから、キミはずるいのだ。 「ねえ御剣、ランチは?」 「いや、まだだが、」 「じゃあ、持ち帰りのファーストフードでもいい?」 「ああ、かまわないが…、どこへいくのだ? メールには何も…」 「屋上で、食べようよ。秋風が、気持ちいいよ」 「…」 「…いや、かな?」 「そうは、言っていない。……っ」 だめだ。声が出ない。彼の名を呼べない。 彼は、いつも私の思考を超えた言動で、驚かせる。 握った手に、力を入れた。 「み、御剣…っ?」 「無農薬野菜を使っている、店にしてくれたまえ」 「…、う、うん、わかった。じゃあ、こ、こっち行こう!」 慌てふためくキミは、私の今考えていることになど、気づいてはいないのだろうな。 それでもいい。それで、いい。 何度も何度も何度も、キミは、私をあきらめないでくれた。 何度も、何度も、告白をしてくれた。 それに、一度くらいは、返す言葉を、 それを、持ってきてしまったのだよ。 それを渡すことが、できたのならば、きっと私は、キミの名を呼べる気がするのだ。 「はい、御剣、ホット紅茶」 「うム。すまないな」 「スーツ汚れるから、このハンカチ使ってよ」 「…、女性ではない。遠慮しておこう」 「はは、そういうトコ、変わんないなあ」 「キミに、言われたくはないのだよ。少しは成長したまえ、この前の法廷――」 「わかったってばー、もう、サンドウィッチが、まずくなるよ」 「…では、黙って食べよう」 「…すねないでよ。せっかくふたりきりのデート、なんだし。」 まったく、懲りない男だ。 「あきらめの悪い男だな、キミは」 「情熱的って言ってよね。 すぐに乗り換える男よりは、いいと思うんだけどなー」 大口を開けてパンを飲み込みながら、彼はカフェオレのカップに手を触れた。 ああ。そうだな。 軽い男は嫌いだ、などと思うのは、女性化しかけた心のせいなのか。 否、違う。私は、男だ。 どこから、どう見ても、そうだ。 彼と同じ、男なのだ。 「…っ…、ふう…」 「? どうしたの御剣、やっぱり、ぼくと一緒にいるの、苦痛かな」 「、そうでは、ない」 深呼吸を一度しよう、サーモンサンドを食べた後では、言えそうにない。 ひっかかってもいい、上手く言えなくてもいい。 あのときが限界だったというのなら。 今は、それを超えているのだから、できるはずだ。 何でも、キミに言える、はずなのだ。 キミからではない。自分から。 「…な、…」 「…!!」 「なる、ほど…」 「――…っ」 抱き寄せられた。 紅茶のプラスチックカップを、少し横に避ける。 「…うん」 「…なる、ほ、どう…」 「うん。うん。…な、に、御剣?」 「…っ…成歩堂…!!」 抱き寄せてくる、震える腕に、そっと自分のそれを触れさせて。 己のほうが余程震えていることに、気づく。 涙が出そうだ。ようやく、呼べた。 私は、一歩、踏み出すことが、できたのだ。 風が、吹き抜けて、彼の髪を乱している。 「…っ…、御剣…ぃ…、…ぼくはおまえが、」 「好きだ」 ああ。 そうだ、私は、 あのとき本当は、そう伝えたかったのかも、しれない。 SIDE:成歩堂 よかった。 繋がってた。 ちゃんと、途切れたり、して、いなかったんだ。 「御剣、…今、」 「…、繰り返さずとも、理解したまえ。……、そうして、できれば返事を、」 「好き。大好き、愛してる。大好き、御剣、す、」 「もういい」 顔は見えないけど、きっと、顔を真っ赤にしていると思う。 ようやく、ぼくらはここに、立つことができたんだね。 …御剣。ぼくのこと好きだって。 でも、同じくらい、ぼくの名前を、また呼んでくれたことが、嬉しい。 「―― 私が、このようなアレな性格のせいで、待たせてしまったことを、心苦しく思う」 「いいんだよ。ぼくだって、おまえを好きだって、言ってなかった。 だから、不安になったんだろ?」 「…半分、正解、だな」 「あと、セックスを求めなかったこと、だろ?」 「―― ……、ああ。そうだ。 聞きたかった、なぜなのか。 私が男だからなのか、魅力がないからなのか。…聞いても、いいだろうか」 「……ちゃんと、気持ちを確かめ合ってからに、したかったんだ。 ぼくはずるいから、強要して、おまえを傷つけて失うことが、怖かった」 「…、そう、だったの、か」 「…ごめん、悩ませてごめん、もっと、真っ直ぐ、伝えればよかった」 「いいのだ、…お互い、様、だろう?」 くすりと御剣は笑って、額をあわせてきた。 「キス、してもいい?」 「ああ…」 2度、3度、触れ合わせて、舌を絡ませて、 御剣は、目を閉じて、ぼくに合わせてくれる。 「――御剣、セックスしたい」 「…っ…、な…、え? 待て、待て、成歩堂っ」 「やだ、待てない」 押し倒す。ここが、外だとか、まだ、夜になってないとか、そんなのどうだっていい。 もう、後悔したくない。 絶対に、いやだ。 離さない。死んでも、放すもんか! 「…っこら、待てと言って、…これは犯罪にあたるのだよ!!」 「青姦くらい、珍しくないよ」 「そのようなことを言うのは、よろしくないのだよ!弁護士成歩堂!!!」 「…、御剣」 瞳を見つめる。 御剣は、うろうろと視線をさまよわせてる。 わかってる。サーモンサンドは手をつけてないし、ぼくのタマゴサンドも、半分以上、残ったままだ。 紅茶もカフェオレも、冷めてしまうだろう。 「……まったく、…キミは…どうしようもない、男だな」 「…あ…」 「、どうしたのだ?」 「御剣、見てみて!!」 「……、…これ、は…」 あの時みたいだ。 「…ねえ御剣、」 「…ああ」 「―― きれいな、空だね。」 おまえの瞳に、青と赤が、混じって映る。 「…成歩堂」 「あ、…ごめん、ぼくつい、」 「キミのマンションへ、行こう。 渡したいものも、ある」 「…はい」 「それくらいは、待てないか。…ならば、…その、もう、抵抗はしないが――」 「待てるよ、ごめん」 「よし。」 御剣は、笑って、紅茶に目を向けた。 だけど、その手が触れる前に、そっと、キスを奪う。 「…御剣、大好き」 「私も、キミが好きだ。…ずっと、好き、だったのだよ」 秋風に揺れる髪が、あんまりきれいだから、目を奪われてしまう。 御剣。 もう、充分いっぱい、もらったよ。 苦しくなるくらい、涙がでそうになるくらい。 視界が歪んでしまうくらいにさ。幸せすぎて、こわいんだ。 ―― きっともう、ひとりでここに、来ることは、ない。 END |