永遠の愛など、あろうはずもない。 日曜、午前9時、成歩堂法律事務所に出向く。 ここ数ヶ月の私の習慣になっている。 いつもと変わらない、そんな光景だ。 「ねえ御剣、―― 遊園地に行こうよ」 「うム。 かまわないが、真宵くん、春美くんを誘わなくてはな…、それから、ついでに矢張も一緒か?」 「ああ、アイツは、その遊園地のヒーローショーの、バイトだよ」 「…あいかわらず、いつでもどこでもバイトをしているのだな」 「それから、たまにはさ、二人で行きたいんだけど、ダメかな?」 「二人…だと…?」 「うん。 ふたりっきりでデート。 まるまる一日」 にこりと、人懐っこい瞳で言われては、少々私には分が悪い。 惚れた弱みだ、仕方がない。 「まあ、かまわない。 それで、どこの遊園地と、言っただろうか」 『 観覧車 』 午前10時45分。 スポーツカーの乗り心地が良かったのか、成歩堂は満足そうだ。 それにしても日差しが眩しい。もう、秋も深まってきたというのに。不思議な日だ。 私の先を歩く成歩堂は、チケット売り場へ向かっているようだった。たまにはぼくがおごるね、と言っていたが、確か今月も家賃ギリギリだよ、などと聞いた記憶がある。 大丈夫なのだろうか。 まあ、泣きついてきた時に考えればいいか。 後先考えず、依頼料も払えないような案件ばかり簡単に引き受ける恋人の、そんなところが、私は好きなのだから。 だから、これからも成歩堂には、正義の味方、まるでトノサマンのような、そんなヒーロー像を貫いていて欲しいのだ。 弱者の助けになり、太陽のような笑顔を振りまき、人々を安心に導いていってくれるような、そんな、たったひとりの弁護士でいて、ほしいのだ。 不意に、成歩堂が振り向き、片手で手を振る。 それに私も視線で合図し、歩きだす。 そういえば、こんな風にデート、のようなことをするのは、ひさしぶりだったな。 前回の映画館では、キミは途中で眠ってしまっていた。 「御剣」 「うム、なんだろうか」 「…うん、…、行こう、もう、開園してるから」 「ああ、そうだな。 さて、どこから回ろうか」 「御剣は、絶叫系大丈夫? ぼくは、高いところ苦手だから、ちょっと、ダメなんだよねえ」 「ふ――、情けないな、大の男が何を言う。 私には、不得意なものなどないぞ」 「じゃあ、あのゾンビのゲームのお化け屋敷、なんかどう?」 「…っ…いや、それは遠慮しておこう」 「ほら、おまえだって苦手なのあるんじゃないか。 あとで絶対連れていくからね」 「行かないと、言っただろう。 …ジェットコースターもお化け屋敷もダメならば、何に乗ればよいのだ? 子供向けなものしか残ってはいないではないか」 「そんなことないよ。 コーヒーカップとか、どう?」 「ふたりで乗るのか…冗談も大概にしたまえ」 成歩堂は、想像してみて、さすがにないよなあ、と言いながら、歩いていく。 私は、その隣を歩く。 なにやら妙な気分だ。それはそうか、26も過ぎた私たちが、夢に溢れた場所に、こうして立っている。弁護士と、検事が、だ。 「御剣、楽しくない?」 「いや、そんなことはない。 キミはどうした、退屈か?」 「まさかぁ。 ぼくは、御剣といられるだけで幸せな男だからね」 「では、なぜ今日は、このようなところに誘ったのだ?」 「うん――、あれ、見たいなって、思ったんだ」 成歩堂は、右手を上げて、一際目立つ、アトラクションを指差した。 この遊園地の目玉である、巨大観覧車だ。 「しかし、キミは先ほど、高所恐怖症だと、言ってはいなかっただろうか」 「うん。そうだよ。だから乗らない」 「…」 「乗らないんだけど、御剣と一緒に見たかったんだよね」 「――…、まあ、私も、このような場所は、嫌いではないのだよ」 「よかった。 ねえねえ、メリーゴーランドがあるよ」 「…ふたりで、乗るのか?」 「なんだか、これの繰り返しだね、御剣」 ほんの少しだけ寂しそうな顔をした成歩堂だったが、ぺろ、と舌を出して、またずんずんと歩いていく。 成歩堂、そっちは、観覧車の方向なのだが。 先ほどキミは、乗らないと、言っていた気がするのだが。 そんな風に思いながらも、私はやはり、キミの後を、ついていく。そうして隣に、並ぶ。 休日だというのに、この遊園地は流行っていないのか、人はまばらだ。 「御剣」 「なんだ、成歩堂」 「御剣は、ぼくとこうなった事、後悔してる?」 「…付き合っている、現状のことを、言っているのか?」 「うん」 「不安にさせたか」 「ううん。そんなことないよ。 ただ、たまにね、…御剣、おまえ、降りたくなっちゃわないかなって、そう、考えてしまうんだ」 赤と白の縞模様のストローから、緑色の液体が昇っていくのが見える。メロンソーダを、飲んでいるのか。 成歩堂は、白いテーブルに載せた指先を、とん、とん、と、二回、叩くようにして、鳴らした。 来たときから、感じていた違和感。成歩堂との会話はちぐはぐだった。 そうだろう、成歩堂。 いつものキミならば、ムリにでも私の腕を引いて、どんなアトラクションでも、乗せていったはずだ。 はしゃぎながら、いつ笑いやむのかと思うくらいの笑顔であるはずだ。 成歩堂。キミは。 「――降りたいとは、何を指しているのかね、成歩堂」 「あれだよ。観覧車」 「どういう意味だろうか」 「うん。 恋愛ってさ。 観覧車に似てない?」 「よく、わからないのだが」 「二人で乗り込むでしょ。他には誰も入ってこれない、ふたりっきりの空間でさ…互いの顔しか見えなくて、互いにしか、触れられなくて。 でも、楽しく喋ってみたり、ケンカやキスすらできるよね」 「…まあ、そうだが、それは別段、観覧車でなくとも――」 「…うん、そうかもしれないけど。 こう、上がっていくじゃない。だんだんゆっくりと、そうしててっぺんが着て、あとはゆっくり下り坂。 降り口まで、それほど時間はかからないし、いつだって、降りれるんだよ」 「…随分と、キミにしては、その…、」 「ぼくは大体、御剣に関してはこんなカンジだよ」 「…成歩堂」 ああ。今日、朝から、ほんの少し感じていた違和感が、大きくなっていく。 成歩堂、私はどこかでまた、間違いを犯してしまったのだろうか。 「御剣はぼくを信じてないね」 「うム…? キミはなにを言っているのだ、そんな事はない。キミは私をとても大切にしてくれるし、私もそうできるよう、努力を惜しまないつもりだ」 「ううん、それは、信じてないっていうんだよ」 それでも、成歩堂は笑っていた。 とても、穏やかな笑顔だった。 それに、なんだか私はとても悲しくなり、切なくなり、同時に、こんな顔をさせているのが自分なのかと思うと、それをなんとかせねばならない、と考えていた。 静かに続いていく、ゆったりとした流れの時間の中で。 私は、成歩堂の頬に触れた。 「ダメだよ御剣、こんなところで」 「…」 「ほら、今日は丸々一日ここにいるんだから。 それに、まだひとつも乗ってないだろ?」 「…作った笑顔は、嫌いなのだよ」 「―― そーゆーのには、気づくんだね、御剣」 成歩堂も、私の頬に触れている。 静かに、ゆっくりと、だったか。成歩堂? キミの言わんとしていることが、私にはまだ全て理解はできてない。 私が、キミを信じていないだと? そんな事はありえない。 「…っ私は、キミを、一番に信じている人間だ。 私の人生において、キミほど信用のできる人間はいない。これは真実だ」 「…うん」 「揺らがない」 「―― ありがとう、御剣。…すごく、嬉しかった。 すごく、楽しかったよ。 この数ヶ月。…すごく」 「やめろ。その先は聞きたくない」 恋愛において鈍感な私であっても、 こんな切なそうな苦しそうな顔をしている恋人が、言おうとしていることくらい、わかる。 やめろ。聞きたくない。聞きたくないのだよ。 「御剣」 「いやだと言っているだろうっ!!」 ドン、と白いテーブルを叩く。 飲み終わっていたコップが倒れ、氷が上に、散らばった。 「御剣。 ここは法廷じゃないんだから、叩いちゃだめだよ」 「―― っ…、しかし、 …い、異議ありだ…、成歩堂、私は、…そんなのは」 「そんな顔しないでよ。 …ね、観覧車乗ろうよ」 「話を反らすな、反らさないでくれ」 「でも、ホラ、周りのみんなに、迷惑だろ?」 冷静な声で言う成歩堂に、私も我に返る。 若干怪訝な視線を感じた。 喧嘩か、と囁く声も聞こえる。 「――うム、…すまなかった、感情的に、なってしまったのだよ」 「ごめん、ぼくも言い方が悪かったから。 はい、御剣」 す、と手を差し出される。 「…なんだろうか」 「握手だよ」 「…、…」 「変な意味もないから。ほら」 「…う、ム」 瞬間、だった。 成歩堂は、人目もはばからず、私を抱きしめたのだ。 少々、苦しくなるほど、だ。 「――、成歩堂、やめたまえ…」 ちいさく呟く。 「やだよ御剣。」 「…き、キミが、…っ…どうしてキミは、いつも私を、振り回すのだ…っ」 「御剣が、愛しいからだよ」 「…、成歩堂」 なんだというのだ。 どう考えても、先ほどキミは、私に別れ話を持ちかけようと、していたではないか。 「――、行こう、御剣」 そのまま私の手を引き、成歩堂は、小さな窓の沢山あるアトラクションに向かって、歩いていく。 やめたまえ、 離したまえ、 人が見ているぞ。 そう、言っているのだが。成歩堂はにやにやと笑っているだけだった。 心が拉げていくのではないかと思うくらい、苦しいのだ。 それなのに、同時に、一秒でも長くこの時間が続いていて欲しいと思う。 この手を、離してしまったら。きっと、成歩堂はどこか遠くへ行ってしまうような、そんな気がしたのだ。 だから。 振り払うことは、一度もしなかった。 年配の係員は怪訝な顔をすることもなく、私たちを誘導してくれた。 鉄の板を踏み鳴らす音が、耳に残る。 苦手だと言っていた成歩堂は、簡単に観覧車の中へ、入っていった。 私も後に続き、そうして固めのシートに、座る。 「…ねえ、御剣」 「…なんだろうか」 「愛してるよ」 「――っ…、それならば、なぜ、…先ほどのような言葉を…」 苦々しい気持ちが漂っていく。小さな部屋のようだ。あまりにも小さいので、成歩堂しか、視界には映らない。 「さっきの話の続きだよ、御剣…」 「…っ…」 視線を反らした。聞きたくない。 好きなのだ。 本当に、まだ、消えるには早すぎるだろう、この、感情も、想いも、なにもかもが。 まだ、ほんの数ヶ月ではないか。 ガタン、と観覧車が揺れる。 遊園地のアナウンスがかかる。 『ただ今強風の為、観覧車の運転を停止しています。 大変申し訳ありませんが、そのままお待ちください――』 「止まったね」 「――、」 成歩堂。 私たちの、関係も。 このまま。 「…ありがとう、御剣。 もう一回さ、ぼくらやりなおそう。 やり直しだよ。 もっと、ぼくに感情を見せて。ぼくを信頼してほしい。信じてほしい。 自分の感情をひた隠して、自分だけで解決していくおまえは、とても潔くて美しい、そう思っているし、そんなおまえも大好きだけど。 でも、でもね。御剣。 ―― やっぱりぼくは、」 一呼吸置いて、成歩堂は、私を、先ほどよりも強く、抱擁した。 ああ。 成歩堂。 「―― ぼくは、おまえの永遠の恋人になりたいよ」 「…っ…、、…う、…ぅぅ…、っ…、っ…、な、、…なる、ほどう…っ!!」 「大好き御剣。 ぼくだけの、御剣。 ずっと、ずっとさ、一緒にいたい。 いよう?」 「――すま、ない、…っ私は、キミを、…」 信じていなかった。 いなかったのだ。 己でもそれに気づくことなく、のうのうと愛を語っていた。 愚か者だ。 そんなものは、愚か者の、詩だ。 「苦しいのも悲しいのも、嬉しいのも、全部全部共有したい。 おまえとひとつになりたいくらいなんだ。」 「…成歩堂…」 どこかで思っていた。 成歩堂は、恐らく、数年で私との関係を、やめてしまうだろうと。 そこで私に必要だったのは、幕を引く準備だった。 そんなものは、簡単だ。今を楽しみ、その時を笑顔で迎えられるように。 ひとりでも生きていけるように。 彼に頼らず、弱みを見せず、ただ、穏やかに、恋人としての時間を過ごすことだった。 この数ヶ月、そんな態度をとっていた私を。 成歩堂は、気づいていたのだな。 すべて、見通していたのだな。 滑稽だっただろう。 しかし、私にはそれを選ぶことしか、できなかったのだ。 眠れない夜に、安眠効果のあるキャンディを、くれたキミに。 そんな、優しいキミを。 独り占めし続ける未来など、望んでいいとは、思えなかった。 ―― 救われたから。 ―― 愛されたから。 一度だけで、充分だった。そう、思おうとすることに、必死になっていたのだ。 「…御剣、…キミはそれを、望んでくれる?」 ふいに力が解かれ、私の両肩にそっと手を置きながら、成歩堂は、静かに私を見つめている。 透明な、茶色の瞳に映る私の、捨てられた子供のような顔の。 なんと、滑稽なことか。 それが、歪んだ。 「…っ…、」 言葉が浮かばなかった。 私は、彼にくちづけることで、それを証明しようとした。 迎え入れられるまま、絡めたそこから、唾液が溢れる。 「…ん、…っ…」 「…――、…、…、ねえ、御剣…」 困ったような顔した成歩堂が、私の頬を、撫でた。 先ほどよりも、随分と優しい動きだ。 「ぼくを、愛してる?」 「…ああ、とても、…愛している」 「――じゃあ、一緒にいよう。 ゆっくりでいいし、全部じゃなくっても、いいんだ。 こうやってさ。 何回でも観覧車に乗ろうよ。 そうやって、やり直しながら、軌道修正しながらでもいいんじゃないかな、って思うよ。 ぼくは」 「それを、私に伝えるために、今日は誘ったのだな」 「うん。 別れ話でもされると思ったんだろ。 …ちょっとだけ嬉かったけど。 だって御剣必死だったから。 今まで見たことない顔、してたし」 そんなものは、当たり前だ。 失いそうになって気づくものがあることくらい、重々承知していた。 失ったものが多すぎるから、私は、キミを、失う準備までしようとしていたのだから。 それが、こんなにも脆く崩れるとは、己自身、思っていなかったのだ。 「成歩堂。 キミを欲しても、いいのだろうか。 キミの全てを、私が、…」 「いいに決まってる。皆まで言わなくても、わかってるだろ。 …わかってよ。 ―― だってぼくは、世界一おまえを愛してるんだから」 あまりにも誇らしげにキミが言うから。 私はどうしようもなく、胸を締め付けられる感覚に襲われていく。 ―― ガタン…―― 「あ、動いたね。 御剣」 「…うム。 その、高所恐怖症は大丈夫なのだろうか?」 「言わないで。今ちょっと格好つけたい気分なんだ、ぼく。 おまえだけ見てれば、なんとかなりそうだし」 「…ふ、…く、…はは、…」 「笑うかなあ」 「笑うだろう」 「笑わないでよ」 「笑わせてくれ」 日曜、午後1時23分。 ゆったりと上昇していく、観覧車の中。 成歩堂。 キミを、愛している。 END |