成歩堂は、誰に対しても、優しい。
それは、時にみぬきくんであり、王泥喜くんであり、茜くんであり、もちろん真宵くんであり、春美くんである。
つまりは、私は彼を、極度のお人よしであり、誰でも分け隔てなく愛する、博愛精神に満ちた、いわば正義の味方だと、思っているのだ。

その精神は、私にも向けられたことがあり、私は彼に対しての恩義を生涯忘れるつもりはない。
礼など、一度しか言ったこともなく、それも、有難うの一言だけだ。

つまりは、彼は見返りを求めない。礼など望まない。
自分にとってはなんのメリットもないことでも、まるで当たり前のようにやってのけ、そうして最後に笑うのだ。


そんな彼を愛してしまった自分に気づいたのは、いつだっただろうか。

気がつけば彼には娘がいて、その後に王泥喜くんが、家族に加わったような形になっていた。
とても喜ばしいことだ。親友として、彼の将来をほんの少しだけ案じていた私にとっては、とても。

そう、思い込もうとしていた。
そうだ、気がつけば、彼、成歩堂龍一には、私など必要なくなっていたのではないか、と思うようになった。
彼の両手はもう、ふさがっていて。誰も入る必要もない。

私は一度彼に救われた身なのだから、それ以上は望んではいけない。
そんな風に思うようになった、なっていた。なるしか、なかったのだ。

だから。


「もしもし、御剣、最近おまえ、ボルハチにも事務所にも、来ないけどどうしたんだ?」
などという、3ヶ月ぶりの電話に、心臓が高鳴っていくのを、誤魔化すしかなかったのだ。

「―― し、仕事が…」
上ずる声に気づかれないだろうか。彼はとても洞察力のある人間だ。
「けど、今は日本にいるんだろ? それでこんなに間をあけるなんて、ちょっと冷たくないかー?」
「…で、では、明日にでも顔を出そう。」
「えー、今日だよ、今夜会いたい。絶対おまえの顔みたい。」

「わ、ワガママなヤツだなキミは――」
「だって御剣には言ってもいいって思ってるからね。 無二の親友だろ、ぼくらは」

こんな風に、友情を前面に出されては、どうしようもない。
諦めるべき恋心なのだ。そんなことは、何年も前から承知していた。
わかっている。理解はしている。しかし、どうしたらいいのだ。

この、心臓が痛むのだけは、自分ではどうにもならないのだ。

成歩堂。
…キミは、優しいから。

だから、困るのだよ。

「ま、まったく、…、その、何時に…」
「みぬきが寝静まったあとがいいね。たまには」
「それでは、随分と遅くなるのではないだろうか」
「うん。22時半に、ぼくがそっちに行くから。―― おまえのマンションでどう?」
「…しょ、承知した」
「じゃあ、ワイン用意しといてよ。 ぼくはつまみでも買ってくから」
「その、みぬきくんをひとりにして、大丈夫なのだろうか」
「ああ、平気だよ。今日は茜ちゃんが遊びにきてるんだ、めずらしいだろ?」

「そうか、ならば安心だな。 …読めたぞ。寝床が、ないのだな、成歩堂」

「さすが御剣。 正解。 おまえん家、泊めて?」

こんな風に、頼ってもらえる存在である自分は、心地いい。
キミは、本当に見事に親友として、カンペキな男だ。

入り込まれたくない線には、近寄ることすらしなくなった。
昔のキミは、それを飛び越えてでも、聞き出してぼくがなんとかするよ、などと言っていたが。
落ち着き、距離感を覚えた彼は、本当に、私にとっては無くてはならない存在になっていた。

好きだから、だけじゃない、彼が必要なのだ。大切なのだ。

私が、私だけが望んでいる。

そうして恐らく、そんな私に気づいているだろう成歩堂は、
絶妙な距離感で、私の親友と相棒を、続けてくれているのだ。
感謝こそすれ、それを裏切る真似など、できよう筈もない。

ああ。

「かまわない。 好きに使いたまえ。 しかし私は、夜半出かける用事がある。」
「…ええ?」

「その、昔の知人に会うのだ。最近またこちらへ来ているようなのでな」

「それって誰?」

「狼士龍だ、キミと同じ龍という文字の――」

「ああ。覚えてるよ。 …それって、絶対今夜会わないとだめなのか?」



どうしたのだろうか。様子が可笑しい。
キミはこんなとき、懐かしいんだろ、行ってこいよ、と言うはずだ。
笑って、言うはずなのだ。

「…まあ、明日でも、いいのだが」
「じゃあ、ぼくを優先してよ、御剣」

「……、本当に、キミは私に対しては遠慮がないな」
「うん。だってぼく御剣のこと好きだし」

「…ああ、ありがとう、私も、友人としてキミを尊敬し、好意を持っている」
「……、うん。 じゃあ、後で、――鍵、あけといてくれよ」

短い電話は切られた。


―― 本当は、狼との約束など、していない。
日本に寄っているのは確かだが、とくに会う約束はまだしていない。時間が合ったら会おうぜ、というメールは着ていたが。

どうやら、成歩堂とともに同じ部屋で眠る運命は、避けられそうにないな。


むしろ、私はここのところ見事に彼を、避けていた。

いつになれば消えてくれるのか、と願い続け、しかしそれは叶わない。

冗談まじりに好きと言われ、それに動揺せずに返答できるようになったのは、最近だ。


「……、本当に、困った親友だなキミは、…成歩堂…」

しかしそれでも口元が笑う自分を抑えられず、そんな己に嫌悪する。

早く、捨てなければならない。
こんな歪んだ愛情は、さっさと消えてなくなればいい。






『その
を持っているのが、おまえだからだよ。』










もう一度、確認するが。

成歩堂は、誰に対しても、優しい。
それは、時にみぬきくんであり、王泥喜くんであり、茜くんであり、もちろん真宵くんであり、春美くんである。
つまりは、私は彼を、極度のお人よしであり、誰でも分け隔てなく愛する、博愛精神に満ちた、いわば正義の味方だと、思っているのだ。


そんな、彼が。


こんなことをするはずが無い。

だから、恐らく現状は夢うつつであり、これは有り得ない状況なのだ。
私はここ三ヶ月彼に会うことがなかったので、恐らく夢を見ているのだ。


…そうで、なければ。


「―― ねえ御剣、携帯かして」
「…、成歩堂、その前に、手を、拘束するのをやめていただけないだろうか。 これでは動けない」

「いいよ。ぼくが取るから。 ああ、履歴と、それから電話帳、全部消去しとくね。 だってもういらないだろ?」
「、…そ、れは、困るのだよ、糸鋸刑事のものや、検事局のメンバー、それから上司や、」

「うるさいよ、御剣。 ぼくがいらないって言ってるんだから、いらないだろ」
「…っ」

恐ろしいことを、終始笑顔で言う親友が、そこに立っている。
私の携帯を机から手にとり、おもむろにボタンを押していた。

「はい、これでもう、おまえにはぼくしかいらないって、わかるだろ?」
「な、成歩堂、…キミは今夜、…いや、先ほどから様子が可笑しいのだよ、…言ってみたまえ、一体何があったのだろうか。
私でよければ相談に乗る。いや、乗らせてくれ。いつかキミが私を救ってくれたように私も」
「そんな話はどうでもいいよ。 ねえ、もう二度とあの狼とかいう、ああ、ぼくと似たような名前のヤツに会わないって約束して?」
「…なる」

「してくれるだろ、御剣。 だってぼくはおまえの唯一無二の親友なんだから」

「…、なる、ほどう」

「言ってよ御剣。誓ってよ。 ぼくよりも優先するものなんて、ないって、言って」

彼の顔がこんなにも近くあることは、今までには経験がなく。

そのまま、彼は私に噛み付くように、口づけをしてきた。

これは、夢だ、そうに違いない。

第一に、彼はこんなことをする人間ではない。
第二に、彼はこんなことを言う人間ではない。


「…、早く」

「…」

「早く誓って御剣。 ぼくしか見ないって、ぼくしか望まないって、生涯ぼくしか愛さないって、言って」

「――っ…」

怖い。恐怖以外の何物でもない。
誰だキミは。幻想ならば早く消えてくれ。夢ならば覚めてくれ。

違う。ここにいるのは成歩堂ではない。



私を裸体にし、腕と脚を拘束し、ベッドに押し倒している男は、成歩堂龍一ではない!


「聞こえないの?」

「…、ぁ…」

「言ってくれないと、ぼく、おまえに酷いことしちゃうかも、しれないなあ………」

「、…ぅ…あ、…ひ、…」

「どうして震えてるの御剣。 もしかしてぼくが怖いの?」

「…」

頷いた。だめだ。だめなのだ。さめない。なぜ、この夢は覚めないのだっ!!

「―― なんで? だってぼくとおまえは……、好き合ってるんだろ?」

「……、…ちがう…」

「―― いつも言ってるだろ。ぼくはおまえが好き。大好き。おまえがいないと、だめになるんだ、ぼく」

「…、成歩堂、しっかりしてくれ」

「してるよ。ぼくはいつも通りだよ。 なに、優しい態度だけおまえに見せていれば安心するの?
でもぼく、さすがに疲れちゃったよ。 だってさあ、御剣からキスもしてくれないし抱かせてもくれないし。
ぼくが好きって言わないと、おまえもそうだって言ってくれないだろ。それだけじゃないよ、イトノコさんはまだ許せるけどさ、
男にも女にも、好きだのなんだの、ずっとずっとずっと言われ続けてて、――まあ、それはもういいんだけど慣れたから。

でもね、アイツだけは嫌だ。許せない。見逃せない。

…狼に食べられるおまえなんて、――許せるわけないだろ、御剣」


成歩堂、は…泣いていた。

震える手で、私の頬をなでる。

「なんで、どうして、御剣、ぼくじゃないの? ぼくだろ、おまえが選ぶのは、ぼくだろ。選んだだろ?
選んでるはずだろ、なのにこんな年になってもちっともぼくを愛してくれないし、ぼくが好きだって言っても信用してくれないし。
もうぼくどうしたらいいのかわからないよ、どうやって望めばおまえはぼくのものになるんだよ!!!!
言えよ、言ってくれよ御剣、……たのむから、おしえて…」

「…、なる、ほどう、…」

「助けて御剣、おまえが好きすぎて、おかしくなる、もう、なってる。」


ああ。
ここに、いたのか、成歩堂。

「すまなかった。 大丈夫だ。安心したまえ。私は、キミを一番に想っているから。泣く必要はないのだ」
「……嘘だろ」

「偽りではない。 その、…、…っ…愛して、いる」
「………、じゃあ、証拠見せて。」

「…?」
「提示して、ぼくが異議を申し立てる必要もないくらいの、とびっきりの、証拠を頂戴」

「……、」

私は、自分から、彼に口づけをおくり、その後に耳元でもう一度愛を乞うた。

「――…もっと」
「…、拘束されていては、ムリだ」

言うと、簡単に彼はそれを外した。
悲しそうな瞳は、変わらない。

信用されていない。当たり前だ。

どうして気づけるだろう、博愛主義のキミが、私だけを、望んでいたことなど。

「…成歩堂、」
「御剣ごめん、早く逃げて、ホントにぼくおかしくなりかけてるんだ、わかるだろ。
おまえが失踪した時と同じくらい、可笑しいんだよ今のぼく。…お願いだから、」

「…もう、いいのだ、成歩堂」
「…え」
「本当に、すまなかった。
そのキミの苦しみごと、私は愛そう」

今度は頬を包むように、両手で触れる。
ああ。泣かないでくれ、泣かないでほしい。


愛している。

誰にでも優しく傷つきやすい、騙されやすい、そんなキミが、好きなのだ。
どうしようもなく愛しているのも。
忘れられない、消えない愛に身を焦がし続けていたのも。

「私の方なのだ。キミに、――夢中だ」
「…、みつ、る、ぎ…?」

抱きしめる。そうして己の高ぶりを彼にこすり付けた。
羞恥はある。だがしかし今はそれにかまっている暇はない。

早く、この優しすぎる、成歩堂を救ってやらねばならない。

「…ん、…は、…ぁ…、成歩堂…」

「…っ、…御剣、…だめ、だめだ、ぼく、ぼく本当におまえを、」

「……キミの両手があいていないのが、悪かったのだぞ、成歩堂」

「え…」

「…抱きしめてくれ。」

「――…ぅ…うん、…うん、うん、うん、…っ御剣ぃ…!!!」


痛みを伴う抱擁も。
彼の流す涙も。

私の名を繰り返す声も。

そのまま首筋にくちづけられ、
胸に触れられ、擦られ、

下半身に伸びてくる指先も、
口腔に含まれた後の感覚も、

初めてだ。

知らなかった、無知とは罪だな、成歩堂。

本当に、
本当に、

私を愛していたのか、いるのか、だから、こんなにも。

「…あ、…っ…成歩堂、……っうあ」



「好き、御剣、愛してる。 御剣、御剣おまえは、ぼくのこと好き?」
「…すき、だ、…狂おしいくらい、に、…っ…キミだけ、…しか、見えない、から」
「…――、御剣…」


成歩堂は、私と己が達したあと、そのまま私を抱きしめたまま、眠ってしまった。
緊張がとけたのだろうか。
しかし、顔は幸せそうに笑っている。

30も過ぎた男の寝顔ではない。
いくら髭を生やし貫禄を出そうとしても、ニット帽を外せば、あまりにも変わらない童顔がそこにある。


成歩堂。

「…、」

右手を、握った。

いつもはみぬきくんと繋いでいる手だ。




親の顔をしていたキミが、まるで再会したばかりの成歩堂龍一に、戻ってしまっていたから。
私はとても、混乱している。

「…、…手、…をつないだのは、…小学校以来だな、成歩堂」



起きたときに、キミはどんな顔をするのだろう。
何を一番に言うのだろう。


…だが、やはり案ずることはないのだ。
例えこれから私が寝入ったとしても。
彼は部屋を出て行かないだろう。



この手を離さず、繋いだままでいれば。

おそらく彼は安心し、

私に目覚めのキスをしてくれるはずなのだ。