『ラスト・オーダー』





―― ぼくは、自分のキッチンで、こんな大声を出したことはない。

「御剣、ちがう、ちがうよっ!! 生魚は、洗剤で洗っちゃだめえー!!」
「しかし、ぬるぬるするのだが、成歩堂」
「それ食べるんでしょ? ここはいいから、あっちでくつろいでて、ね?」
「……それでは、朝食と変わりないではないか」
「いいんだよ、こういうのは得意不得意があるんだし。御剣にしかできないこと、あるだろ?」
「…う、うム」
「朝も言ったけど、包丁なんか使ってさ、こんなきれいな手に怪我でもしちゃったら、大変だろ?」

ちゅ、と手の甲に口づけると、御剣はやっと少しだけ、笑ってくれた。
ほんと、実際びっくりしてるんだよなあ。
こうやって、御剣がピンクのエプロンなんか着ちゃって、ぼくん家のキッチンにたってるなんてさ。

「すまないな成歩堂…、その、役に立たない…」
「いいよ、そんなお嫁さんがいてもいいんじゃない?」
「!? …っっ…、う、…うム……いや、その、努力は、しておくのだよ…」
「あれえ? 御剣顔赤いよ〜」

わざとらしく言えば、御剣はさらに白い肌を朱色に染めていく。

「っば、ばかもの…、…で、では私は風呂を入れてこよう」
「うん。スイッチ押せばできるタイプじゃないけど、できる?」
「愚弄するのもいいかげんにしたまえ、蛇口くらいひねれるのだよ」
「だよねー、ごめんごめん」

ぼくはそう言って、またまな板に向かってたんだけど。
それからほんの数分後。


「ぬおおおおおっ!!!」

っていう、御剣の声がしたから、急いでエプロンを放り投げて、バスルームに向かったんだ。
そうして、目の前にあった光景に、頭を抱えた。

「御剣…、だ、大丈夫?」
「………タオルを、貸していただきたい」

「…はい。」
「ウム……、成歩堂、前言撤回しよう、私は…、だめなやつだ」

「そんな事ないよ、ほら……、う…」

ヤバイ。マズイ。非常に、危険だ。
御剣逃げて、今ぼくすっごいおまえに欲情しちゃいそうなんだけど。
そんな涙目でさあ、服をぬらして、こっちみないでほしい。
昨日の今日でこんな事思ったら、あきれられちゃうだろうな。

「…ねえ、御剣…ほら、着替え…どこだっけ…」
「………、その、持ってきていない。泊まるつもりはなかったのでな。」
「じゃあ、ぼくの持ってくるから、身体拭いてて。」
「うム」

しゅうん、と気落ちした御剣は、タオルを受け取ると、それをすぐに置いて、服に手をかけた。
あー、もう。昨日のこと思い出しちゃうよ。だめだ。意識を反らそう。
せっかく御剣がぼくと付き合ってくれているんだから、もっとこう、余裕な男を演出しなくちゃ。
これでもけっこう我慢強い方だと思ってたんだけど、御剣が絡むとダメなんだよな。
タンスの中から御剣にも着れそうな大きめのパジャマを取り出す。

「…なんか、ぼくの服着る御剣って、ちょっと、いいかも」

こんな事思うから、真宵ちゃんに危ないヤツって言われるんだよな。まあ、自覚はあるけど。

「成歩堂ー、着替えはまだか?」
「あ、ちょっと待って、すぐ行くよ」

そうしてバスルームに戻った時、まあ、当たり前なんだけど、そこには一糸纏わぬ御剣がいて。
いや、そりゃあ身体拭くんだから、うん。けど、でも。せめてタオルで隠すだろ。

「………は、はい」

視線をあんまりそっちに向けないように、御剣にパジャマを差し出す。

「うム。すまない、感謝する。クリーニングを、」
「しなくていいよ。 パジャマは普通出さないだろ。ほら、…あ、髪濡れてるじゃないか」

思わずタオルを取って、御剣の頭をぐしゃぐしゃと拭く。
こういう所、きっちりしてそうなんだけどな。

「な、成歩堂、やめたまえっ」
「ぼくのパジャマが濡れるだろ。ほら、ちゃんと乾かして」
「…っ…、あ…」
「え、なに?」

顔が近いから、御剣の表情は見て取れるけど。さっきから、なんでこんなに照れてるんだろ?

「……、いや、…、…変な話なのだが、意識をしてしまうのだよ、成歩堂」
「それってぼくを?」
「うム…」
「もう恋人になったのに?」
「それは、関係ないだろう。 キミが近くにいると、心臓が高鳴ってしまって困るのだ。そ、そのようなアレは良くないと思うのだが、どうしたらいいだろうか。」

まったくおまえ、なんでそんな可愛い顔で、可愛いこと言うんだよ。
それじゃあ、ぼくを好きだって言っているようなものなのに。
―― ほんと、しょうがないなあ。

「御剣」
「…う、うム」
「キスしたいな」
「…っ…、な…」
「解決方法は1つ。 もっとぼくと一緒にいてよ。そうしたら、きっと慣れちゃうって」
まあ、それはそれで、飽きられるみたいで少し寂しいけど。御剣にとって、少しは安堵する存在でありたいからさ。
「そ、そうだろうか」
「そうだよ。 そうじゃなくても、――したいなあ」

濡れた髪ごとタオルで頭を引き寄せて、御剣の唇を、少しだけ舐めた。

「…、な、成歩堂…」
「そうだ。今朝のこと教えてあげるね。 御剣、寝起きはすっごくぼくに甘えてきたんだよ。無防備で――、こんな風に…」

返事はまだだけど、ちゅ、と軽くフレンチキスを送る。

「キスしちゃうぞって言ったら、させてくれたんだ。 可愛かったよ。…今みたいにね」
「…、…っ…き、キミは、…よくもそんな台詞ばかり言えるものだな…」
「おまえには負けるよ」
「…?」

そんな嬉しいこと言うんだから。
これ以上ぼくを喜ばせたって、きっとおまえに返せるものなんて、持ってないのに。

「まだ、ドキドキする?」

そっと、御剣の心臓のあたりに手を当てる。

「や、やめたまえ!」
「えー、なんで。 いいだろ、別に襲ってるわけじゃ、ないんだし」
「せ、節度は大切なのだよ!!」
「もー、御剣ってば、頭固いなあ」
「しかし、それでは余計に――、…っ」
「余計に?」

やっぱり今回は御剣が悪いよ。 どうして恋人の前で、そんな無防備な姿晒してるんだよ。
だから、こんな風にわかっちゃうんだからな。
まあ、ぼくらはまだまだこれからだから、あんまり最初から、意地悪はしたくないし。

「はい、御剣。今回だけだからな、見逃すの」

今度こんな機会があっても、同じことはできないだろうなあ。なんて、苦笑しながら、バスタオルで御剣の身体をぐるっと巻いてあげる。
これで、ぼくは何も見てないって事にしてあげるよ。
せっかく御剣が一緒に夕食を食べてくれるって言うんだから。早くキッチンに戻らないといけないよな。
美味しそうな食材は、ここにあるんだけどなあ。 …なんてね。

「…な、…成歩堂…」
「ん、なぁに御剣? いいよ、ゆっくりで。身体冷えたなら、シャワー浴びてきてもいいし」

からかうように振り向くと、急に身体があたたかくなった。
それは、どうやら御剣がぼくに抱きついてるから、なんだけど。
み、御剣さあ、これ、寝起きとかの問題じゃないよな。同じ男なんだから、わかるだろ。
こんな風に誘われたら、困るのは、ぼくなんだけど。

「御剣、どうしたの?」
「…」
「―― 節度は大切なのだよ?」
「成歩堂…、このような時は、そのようなアレを、…さ、察したまえと、前も言っただろう…っ!!」
「うん。じゃあ、察しちゃうけど、いいの?」

このままじゃあ、本当に御剣の身体が冷えてしまうから、ぼくは一緒にシャワーを浴びるって選択をする。
それで、間違ってないんだよな?
御剣がそれを望んでいるなら、自分の意思を突き通してしまおう。
相変わらず、顔も赤いし、心臓もドクドクと高鳴っている恋人だけど。
自分から、キスをしてくれたから、もうなんでも許しちゃうよ。


「成歩堂、あとで、料理はちゃんと手伝うのだよ。 名誉挽回のチャンスを、与えてくれたまえ」

「それはまたでいいから。 …今はこっち、おかわりさせて?」


あのね御剣、ぼくは、おまえだけで、おなかいっぱいにしたいんだ。